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第12章 メカニスム

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この「メカニスム」といふのは、フランス語そのままですが、辞書では、大別して、からくり、機械仕掛、装置、構造といふ意味と、機械論といふ意味の二つが出てゐます。ここでは後者の意味で、ある種の現象、あるいは全ての現象は、物理的な運動の組合せに引き戻すことが出来るといふ考へ方を指します。

第二段落でアランがかう言つてゐるのに注目して頂きたいと思ひます。

これは哲學者の大きな秘密だが、どんな證明も證明自體で一本立ち出來るものではない。證明は常に何處からか外敵を受けてゐるもので、たゞ鐵條網を張廻らして防禦してゐる樣では、早速壓倒されて了ふのである。精神は證明の背後に隱れてゐるのでは強い精神と言へない、證明の唯中に身を置き、證明を常に激勵してゐる樣なものが精神だ。この事を理解して貰ふのに、宇宙のメカニスムなどは適切な例である。

精神にとつて証明とは、その後ろに隠れてゐれば良いものではなく、それを駆使してこそ役に立つ物だ、機械論はそれを知るための良い例だと言ふのです。「宇宙のメカニスム」といふのは、mécanisme universel の訳ですが、世界は機械的に説明が出来るといふ考へ方を指すのでせう。

第四段落には、

運動による變化の表象とは斷じて偏見である。

とあります。偏見といふ言葉は誤解を招くかもしれませんが、例へば球の位置が刻々と変はるといふ変化を、球の運動として捉へるといふ見方は、与へられたものではなく、人が選んだものだといふのです。

なぜそれを選ぶのか。

無論選び易いから選んだのではない、容易だといふ事なら夢を見てゐる方が容易なわけだ。あらゆる呪文を祓ふ恩人として、精神の武器として、僕等は運動といふものを選び取つたのである。

原文で「あらゆる呪文を祓ふ恩人」の部分は libérateur, exorciseur となつてゐて、直訳すれば<自由を与へる者、魔を払ふ者>です。

逆に、

怠惰な物理學者はその證明を見失ひ、無上の寶、精神を忘れて、小兒の恐怖に、贋物の神に、月並みな精神に堕落する。

ここの「無上の寶、精神を忘れて」に相当すると思はれる部分は、私の持つてゐる pléiade 版のテキストでは oubliant le dieu et l'esprit となつてゐます。直訳すれば<神と精神を忘れて>です。なぜ小林秀雄がこれを「無上の寶」と訳したのか。

ひとつには、同じ文章に「贋物の神」といふ個所があり、神といふ言葉が、一方では価値あるものとして、他方では堕落する先として使はれてゐるので、混同を避けようとしたのでせうか。原文では、「贋物の神」の方は faux dieux と複数になつてゐます。

また、「月並みな精神に堕落する」といふ部分は、(retombe …) aux esprits partout で、ここも複数となつてをり、<いたるところに幽霊を見るやうになる>とも訳せるでせう。

精神は樣々な精神を征服しなければならぬ。リュクレエスはこの仕事で己の魂を失つたが、デカルトは失はなかつた。よく考へて見てくれ給へ。

これが結論部分です。リュクレエスは、第三段落のルクレチウスと同一人物なので、校正段階でどちらかを直し忘れたのでせう。「樣々な精神」は上と同じで、<幽霊達>と訳すこともできます。


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