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第12章 涙

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この章でアランは、涙を対象に、その生理的な動きを分析し、これに人間はどう対応できるかを述べてゐます。身体の動きに関する話なので、普通に使われる言葉なのに翻訳が難しいものが出て来ます。

例へば sanglot。第二段落に出てくる言葉で、小林訳では「嗚咽をえつとか歔欷すゝりなき」となつてゐます。仏語の辞書では、「断続的な横隔膜の収縮による、急激な音を伴ふ呼吸で殆どの場合、繰り返される。普通、涙の発作の際に起こる。」と説明されてゐます。<しやくりあげ>といふ訳も可能かもしれません。同じ段落の最後の方に

嗚咽は、この不規則な肺臟の運動から成立つ、つまり中斷される溜息だ。

とあるので、どのやうな状態を指すか、想像いただけるでせう。なほ、ここで「肺臟」とあるのは cage pulmonaire なので、<胸郭>といふ訳し方も可能ではないでせうか。

岩波文庫で出てゐる神谷幹夫さん訳のアラン「定義集」では、sanglot は以下の様に定義されてゐます。

SANGLOT 嗚咽おえつ
生命を絞め殺したような悲しみの絶頂からほとばしるひきつった結末。笑いと同じような激しい痙攣けいれんが肩を持ち上げ、呼吸を活気づける。嗚咽に続いて、いつも同じ不幸を考え込むことから出てくる新しい拘縮こうしゅくが来る。こうして、嗚咽はリズムにしたがい次々に起こってくる。思考が結びつけ、生命が解きほどく。

同じ段落で「驚愕」と訳されてゐるのは horreur といふ言葉で、中村雄二郎さんは、「戦慄」と訳してをられます。仏語の辞書で最初に出てくる説明は、「ぞつとするやうなもの、卑しいものを見たり考へたりすることで生じる激しい印象」といふものです。

第三段落でアランは、涙が救ひとなる一方で、それに身を任せると、「自分の無力を身に沁みて味はゝされる」ことを指摘した後で、かう言つてゐます。

但し、反省と判斷との力で、人間はこの種の痛ましい足掻あがきを、純然たるメカニスムの手に引渡す、つまり、自然の手にそれだけの事をさせてやるのだ。その時、人間は嗚咽せずに泣く、涙を透すと、己の不幸が一層見分けられさへする、かうなれば丁度雹害ひようがいの後の農夫の樣に、既に人は己の不幸に制限を付してゐる。

言葉を変れば、涙を流すといふのは、弱い人間には不可避なもので、それを気に病むのではなく、肉体の機械的な反応に過ぎぬものだと割り切れば、涙の生理的な効果によつて、直面する事態にも冷静に対応できるやうになる、といふことでせう。

身体を持つことによる弱さを見据ゑて、そこから立ち上がる力を得るための「反省と判斷」、それがアランにとつての哲学といふものなのだといふことを、よく示してゐる章だと思ひます。


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