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André Maurois "Alain"


André Maurois の"Alain"は、1950年にDOMAT社から出された本で、小林秀雄文庫に残されてゐるのは、1951年2月に印刷されたものです。佐貫健氏による日本語訳が、みずす書房から1964年に出てゐます。

アンドレ・モーロワ(1885-1967)は、アランの教へ子の一人で、この本は全体で約150頁の小さな本ですが、師アランの生涯と思想を、手際良く纏めてゐます。目次は、以下のとほりです。

IExistence d'Alainアランの生涯 9
IIUne Philosophie de l'Esprit精神の哲学 23
IIIL'Essence et l'Existence本質と存在 39
IVUlysse nageant漂ふオデュッセウス 49
VPassions et Sentiments情念と感情 63
VILéviathanリヴァイアサン 77
VIILes Beaux-Arts芸術 93
VIIILes Dieux神々 107
IXL'Artisan en chambre室内の職人 125
XSocrate n'est pas mortソクラテスは生きてゐる 141

小林秀雄は、自分が関心を持つた人物については、本人の全集を読むだけではなく、その人物に関する本も集めて読むことを心掛けてゐたやうです。モーロワの本以外にも、雑誌 La Nouvelle Revue Française のアラン追悼特集"Hommage à Alain" 、アラン友の会の会長を務めた Georges Pascal による"Pour Connaître la Pensée d'Alain" 、Judith Robinson "Alain - Lecteur de Balzac et de Standhal"が文庫に残されてゐます。青インク、鉛筆、赤鉛筆で付けられた印などを見ながら、頭に浮かんだことを書いてみませう。

第1章「アランの生涯」には、印が付された個所はありません。アランは自らの生活については多くを語らうとしませんでした。語つたのは「思索のあと」です。小林秀雄も、アランの伝記的な部分は重視してゐなかつたのかも知れません。

最初に印が付けられてゐるのは、第2章「精神の哲学」の以下の部分です。

これらの印は本物であり、この世界には他に何も無い。各瞬間にあるのは、この果てしない外観とそこから私に届く印だけだ。内面の生活は外面の生活であり、さうでなければ何物でもない。「さうだ。人は誰でも毎朝、世界を築き直す。それが目覚めであり、それが意識だ。そして、毎朝、哲学者は二重の目覚めで、この目覚めに驚き、魂の魂を再び得る。」(p.32)
この場合、どこで知覚が始まるのか。どこで夢が終はるのか。トランペットや嵐は本当だつた。しかし、これらの印の周りに、夢見る者は気ままに途方もない空想を築き上げて、それが事実かを確かめようとしない。眠りで活動から身を引いてゐるからだ。この世界の他に夢はない。現実の客体の知覚の外側にあるやうな意識などない。狂人は、決して目覚めることがなく、自分の身体が送つてくる印を気ままに解釈して、経験によつて引き起こされ得る印を勘定に入れない人間だ。しかし、狂人も、存在してゐるものしか見ない。(p.33)
しかし、精神を普遍的な力学の名によつて否定することはできない。普遍的力学は精神の思ひついたものだ。意志を、それ自身が綯つた綱によつて縛ることはできない。判断力は、判断は存在しないと判断することはできない。
普遍的な力学は、受け入れねばならない。これによつて理解するか、全く理解しないか、しかないのだから。(p.35)

ここでモーロワが説明しようとしてゐるのは、アランの精神や意識についての考へです。精神は世界を離れてあるものではない。「内面の生活は外面の生活であり、さうでなければ何物でもない。」「現実の客体の知覚の外側にあるやうな意識などない。」他方で、精神は目覚めてゐる。世界の中に身を置いてゐるが、世界と一つなのではない。送られて来る印を判断し、それに基づいて行動してゐる。物理学は、あたかも全てが機械的に決められてゐるかの如く考へるが、それは精神には当て嵌まらない。小林秀雄は、かうしたアランの考へに賛同してゐたのではないでせうか。

第3章「本質と存在」では4個所に印や短い書き込みがあります。本質と存在の関係や、理性と悟性の関係が主題になつてゐるのですが、これらが問題になる背景が日本人には分り難いところがあります。

この思考を拒む海が、この周囲の世界がなければ、思考は無かつただらう。本質は、存在と分離されると、中身のない形となる。世界が我々の思考の唯一の調整者である。悟性は、抵抗する自然から切り離されると、理性と成り、証明しか見なくなる。吾々はアランが証明を軽蔑してゐたことを知つてゐる。海や世界は証明を軽蔑する。だが、弁証論者は対象を忘れる。知識を欠いた、知識に関する不思議な知識である。(p.40)
我々は運動を選ぶ。良からう。それが我々の作品であることを知つてゐれば、それで結構だ。危険になるのは、弁証論者が本質から存在へと飛び移らうとする時だ。我々は、世界は線、原子、運動によつて出来てゐるかといふ問を発することで、真実から存在へと移る。宇宙の本質は、我々を、存在といふ名の現実の状況に近づけるものでは全くない。(p.42 「本質と存在」とフランス語の書き込みあり。)
悟性の顔を持つ内在する神が現れる。ところで、悟性はこの世界のものではない。悟性は我々に宇宙に問へと教へ、答へるのは宇宙だ。もし、その答が悟性の法則を否定すれば、悟性はその否定を説明し、否定は否定ではなくなる。しかし、どこかに充分な理性が姿を見せたら、物そのものの中の理性、要するに物の中で考へてゐるある種の神だが、存在は本質の中に消えるだらう。証明の証明は世界の終りだらう。(p.43)
ストイック派のやうに、この世界は理性だと言ふことは、すべての諦めの元であり、全ての、あるいは殆ど全ての悪の元だ。悪を慎む敬虔な聖者一人に対して、悪をなす者は数知れない。彼等は、これは神の世界の秩序であり、打克ち難い意志だと自らに言ふのだから。政治にとつて最大の危険は、雲から雨が降りやまず、社会が危機に瀕してゐるのに、原因が待つてゐてくれると考へることだ。悟性は、大人しく限られたものだが、この何の意図も持たない海を見て、我々に勇気を持てと勧める。そこでは、明かに、我々を溺れされる波が、我々を運ぶこともある。もし我々が泳げば。(p.44 「理性と悟性」とフランス語の書き込みあり。)

生松敬三、木田元両氏の対談『現代哲学の岐路-理性の運命-』にある木田氏の以下の説明は、これらの問題が取上げられる訳を理解するのに役立つのではないでせうか。(講談社学術文庫版 p.233-234)

二十世紀の哲学者で「実存」という言葉に重要な役割を与えたのは、ハイデガーとヤスパースでしょうね。二人とも少しずつ違った意味で使っているけど。そして、彼等はこれをキルケゴールから借りてきているし、キルケゴールはまたシェリングから借りてきたものらしい。
もともとシェリングは、理性的な認識によって把握可能な事物の「本質エッセンティア」つまり、その事物の「何であるか」に対して、そうした合理的な把握を拒む事物の事実存在、つまり「実存エクシステンティア」、「それがあるという事実」を哲学の主題としてとり上げようとしたわけです。
僕はそれをこう考えています。つまり、事物が「何であるか」ということ、たとえば、机であるか椅子であるかということは、その形相エイドスによって決められる。ところが、「それがあるかないか」を決定するのは質料ヒュレーでしょうね。ところが、西洋の伝統的な哲学は、形而上学的な原理(イデア・神・人間理性)と結びつく形相エイドスによって決定される事物の「本質存在エッセンティア」だけを問題にし、質料ヒュレーつまり自然によって支えられているその「事実存在エクシステンティア」は問題にしないできた。あるいはできないでしまった。それを問題にしようとしたのが、シェリングの「積極哲学」だったわけです。だから、シェリングの場合、根源的自然の復権という志向と結びついて、「実存エクシステンティア」が重視されることになる。
ハイデガーの言い方を借りてもっと正確に言えば、存在が「本質存在」と「事実存在」に分裂する前の、あるいは「ある」が「である」と「がある」とに分裂する前の原初の単純さを回復しようというのが、シェリングの狙いだったわけでしょうね。そうした「存在」の二義性は、事物の存在を「形相エイドス」と「質料ヒュレー」とに分けてとらえ、自然を単なる「質料マテリア」として見る形而上学的思考様式のもので生じてきたものだから、形而上学の克服はおのずから根源的自然の復権となり、「事実存在」の権利回復となるわけですね。

小林秀雄は、アランの本を西洋哲学の手引きの一つとしても使つてゐたやうです。

第4章「漂ふオデュッセウス」でモーロワが説明してゐるのは、この世界の中で生きる私達がどのやうに真実を見出すか、といふ問題に関するアランの考へです。この章で小林秀雄が印をつけてゐるのは、以下の部分です。引用部分に名前が出て来ることからも分るやうに、アランはカントの考へを基礎にしてゐます。

天体の運動法則は簡単な式で表現できる。しかし、幾何学者の服がこんなにぴつたりと自然に合ふのに驚く人達は、数学の道具の柔軟性や様々な手段を知らない。これは次第に複雑になつて、輪郭をそれだけ上手く描くのだ。彼等の二つ目の誤解は、自然が、数学の式の外で、何か現実のものであり、さうだとか違ふとか言ふと考へることだ。この誤りは、科学が既に半ば形にしたものを、我々が自然と呼ぶことからくる。自然は何も言はない。何物でもない。(p.53)("nature"の書き込み)
自然と思考との一致は、さうなる他はない。といふのは、我々は自然を思考の形式を通してしか知ることができないからだ。詳しくは「カントに関する手紙」を参照して欲しい。(p.54)
議論は彼に、そして私にも、一つの真実しか教へなかつた。即ち、議論からは誰も学ばない、といふことだ。そこでは誰もがソフィストになり、証明を受けつけようとしない。この用心はもつともだ。議論が上手の人間に答へられないといふことは、何かを証明するだらうか。証明は無知の仲間だ。学者は対象を観察する。
弁証法は、世界が無ければ何物でもない。推論は知覚がなければ何物でもない。「軽率な鳩は、真空のなかではもつと巧く飛べるだらうと考へるかも知れない。しかし、努力しても進まないのだ。」とカントは言つた。(p.56 "preuve"、"Kant"の書き込み)
しかし、我々の公的、私的な生活で、必然性は決して十分だとは感じられない。ここでは多くの物事が結果に係るので、その瞬間に、考へのなかでそれらをまとめることは無理だからだ。また、我々が、ある出来事が不可避だと前もつて考へる時には、我々の考へは抽象的だ。「何が起きるかは分らないが、それは不可避だ。」この考へを否定することは出来ない。捉へどころのない考へなのだから。(p.58)
自由意志を、機械的な分析が可能な、介入する力として言ひ表してはいけない。それは、ただ、全ての人間が自分自身であることを意味する。(p.59)

抽象的な議論で真実に至ることはできない。現実との関はりの中でそれを見出すしかない。科学でさへも、いくつかの原理から全てを演繹するものではなく、数学といふ道具を柔軟に使ひこなし、次第に複雑な自然の輪郭を描き出す。科学は、このやうに人間の営みの一つなので、それが前提としてゐる法則性、必然性は、私達の生活全体を規制するものではない。だから、私達は、自分で決める必要がある。かうしたアランの考へは、先に引いた『現代哲学の岐路』の中で木田元さんが解説してをられるニーチェの思想を思はせるところがあります。アラン自身は、ニーチェを褒めてはゐませんが、小林秀雄がニーチェの愛読者であつたことはよく知られてゐます。

「力への意思」という概念は、「生きた自然」というときのその「レーベン」のそうした構造的本質を言い当てようとするものなんでしょうが、そうなると、この意志というのは、つねにおのれが現在どこにいるかを見積り、自分が昂揚していくより高い段階を見積っていなければならないわけです。その見積りの目安が「価値」なんで、したがって価値定立の働きは、レーベンに本質的に属する機能だというわけです。ついでにいうと、生がその現段階を見積るためにおこなう価値定立作用が「認識」であり、それによって設定される目安が「真理」と呼ばれ、昂揚してゆく可能的段階を見積るためにおこなう価値定立作用、それが「芸術」であり、それによって設定される目安が「美」と呼ばれるのだとニーチェは言います。だから、「生」にとっては「認識」より「芸術」の方が、「真理」より「美」の方がより価値が高いというわけです。生の本質にはそうした二重の価値定立作用が属していることになりますね。ですから、ニーチェの「生」とか「意志」とかは、盲目的どころか、きわめて計算高いものだということになります。
(講談社学術文庫版 129頁)

第5章「情念と感情」で印が付されてゐるのは、次の一個所だけです。情念を抑へるためには、頭で考へるのではなく、身体を動かすことが有効だ、といふのは、アランが繰返し説いたところです。

これに対する治療法は行動だ。唯一の恐れは、恐れの恐れだ。考へを変へるのに十分な動きをする、非常に簡単な動きをして、待つことで硬直した筋肉を緩める、この治療法は、身体と心を同時に癒す。(p.64)

第6章「リヴァイアサン」でモーロワは、アランの政治論を説明してゐます。ここでも、判断するとは「誤つた考へを立て直す」ことであり、与へられた規準によつて物事を量ることではありません。

正義を愛する心から、大抵の人は、他人を裁いたり打算に屈したりに力を使ふ。これは、この正義が身についてゐないからだ。正しい考へといふものが、子供の頃や自然から来た誤つた考へを立て直すことでないとすれば、それは帽子や着物のやうに、すぐに取れるものだ。曲がつた棒といふ誤つた考へがなければ、屈折といふ正しい考へはない。(p.79 "idées"の書き込み)
アランは、公証人、弁護士、教授のやうに説得することで生活する人は、誰でも「ブルジョワ」と呼び、大工や靴屋、織工のやうに作ることで生きてゐる人は、「プロレタリア」と呼ぶ。だから、政治家は、マルクス主義者であつても、いつでもブルジョワであり、芸術家は、その作品が生きるために説得をする必要がないほど立派であれば、プロレタリアなのだ。(p.82-83)
「抵抗と服従、これが市民の二つの徳だ。服従に依り、彼は秩序を保つ。抵抗により自由を確保する。抵抗しながら従ふ、これが秘密の全てだ。服従を壊すのは無政府状態だ。抵抗を破壊するのが圧政だ。」これが完全な市民である。常に権力に対してをり、必要な時には協力する。(p.91)

人間を相手にして口先で生きてゐるのが「ブルジョワ」で、物を相手にして手を動かすのが「プロレタリア」だといふ分類法や、市民には抵抗と服従の二つが必要だといふ政治論は、アランの考への中でも印象に残る部分です。小林秀雄は、この分類で言へば「プロレタリア」を重んじてゐました。『文學と自分』(昭和13年)のなかで、文学者は「口説の徒」だと言つてゐますが、読み返してみると、「プロレタリア」としての口説の徒であることが分ります。

文學者は、思想を行ふ人ではなく、思想を語る人だ。今日の樣に、實行の世の中になると、文學者なぞは、口説の徒ではないか、といふ人が増える。そんな事を言ふ人が増えても減つても、文學者は昔から口説の徒たる事にいさゝかも變りはないので、口説の徒で充分であると信ずる者を動かす事は出來ませぬ。文學者にとつて、思想の價値は、それを巧く書くか拙く書くかといふところで定まつて了ひます。どう書くのが巧妙であり、どう書くのが拙劣であるか、それだけで、もう底の知れぬ大問題であつて、この點で失敗して了へば、辯解の餘地なぞ全然ないのであります。譬へて言へば、大工が家を建てる樣なもので、家を拙く建てて了へば、人間を住まはせるといふ目的なぞナンセンスである。建て方は下手だが結構雨露はしのげるではないかといふ樣な辯解は意味を成さぬ。それと同じ事です。
(第五次全集第七巻129頁)

他方、アランは「ブルジョワ」を否定したゐたわけではありません。彼自身が、言葉で人を動かす教師だつたのですから。また、アランは政治に強い関心を持ち、自ら深く関与してゐました。政治が相手にする人間の集団は、物のやうにしつかりとした抵抗を持たず、変化して止まないものですが、それだけ余計に、それを扱ふには高い技術を要求するものだと考へてゐたやうに思はれます。

第7章「芸術」で小林秀雄が印をつけてゐるのは、以下の部分です。

作品が生れるのは、物の抵抗が感動と結び付いた時だ。抽象的な考へ、テーマのある小説では、工場製の文学しか出来ない。ここでも下から上へと進む。決して上から下ではない。肖像画家は明確な考へから出発することはない。描くに従つて考へが出てくるのだ。見物人のやうに、描いた後から来ることさへある。天才は、自らが驚かねばならない。(p.95)
この制約は自然なもので、精神を支へる。無味乾燥な文体は、頭の働きだけから出て来るので、自然と精神の調和を忘れさせる。だから詩人が最初の思想家なのだ。上から、論理だけで真実を探さうとする者は、常軌を逸する。(p.99)
ある種の考へのうねりが、彼を岸辺に戻すのだ。かうして彼は自分自身を恐れず、感じることを学ぶ。この力強い術が、その他の術では為し得ないほど、人を鍛へる。といふのは、一番恐れるべき状況、動揺が伝染し留まるところをしらない群衆(パニックを考へれば良い)の中で、興奮の縁にある時にも、この術は人に自らを制御する力を与へる。自意識を学ぶのは、ここかも知れない。(p.100)
真の散文は説得しようとはしない。証明しようとはしない。考へさせるのだ。(p.104)
小説は自由意志の詩だ。(p.105)

これらの文章でモーロワが説明してゐるアランの考へは、作品には物の抵抗が必要であること、詩人が最初の思想家であることなど、小林秀雄の文章に出て来てもをかしくないものばかりです。真の散文は説得するのではなく考へさせるのだ、といふのは、『本居宣長』を書いた時の小林秀雄の気持ちを代弁してゐるやうにも思はれます。

第8章「神々」では、子供時代の持つ意味についてのアランの考へが説明された部分に、多くの印が付されてゐます。

宗教はどこから生れたか。我々が自分の感動、希望、恐れを、答へることのない世界の姿の中に探すといふことからだ。(p.108)
我々は子供時代にお伽話の世界を知り、乳の川がチョコレートの岩の間を流れる桃源郷に生きた。確かに我々はこの楽園を失つたが、忘れてはゐない。魔法の絨毯での旅は、母親の腕で運ばれ、欲することなく、また理解することなく次々に素晴らしいものを発見する子供には、日常の経験であつた。(p.109)
魔法使ひや魔女の世界は、想像される以前に、事実だつた。(p.110)
勇気はお伽話の王様で、子供時代の神だ。これは人が自分を、仮面を着けず、自分以外には障害物を持たない騎士だと見る時代だ。最初に勇気があつた。子供は正義、友情、誠実を信じる。人間の救ひは、これらの徳を自分の中に探し続けることにあるだらう。これらの徳はこの世界のものではないからだ。(p.111)

『神話学序説』といふ本の中でアランは、こんなことを言つてゐます。

私は、この問題を、ここでは下側から説明してみる。デカルトの言葉で言へば、私達は皆、人間になる前に子供だつたので、誰もが、酷く間違つた考へ、空想的な考へ、それでゐて一番自然な考へから出発して、縺れを解くといふ仕事をせねばならない。この指摘は遠くまで連れて行く。といふのは、全てが経験から得られたとする知識の理論は、子供時代の経験を忘れてゐれば、空つぽ同様だからだ。子供時代の経験は、子供の力をはるかに超えてをり、いつでも例外なく一番人を欺くものだからだ。そして、子供は自分が何を言つてゐるか分らないうちに話し始めるといふ単純な事実は、私達の自然な知識が最初は全く言葉の上のものであることを説明するに足る。
("Les Arts et les Dieux" p.1108)

第9章は「室内の職人」と題されてゐて、冒頭には「私たち詩人は、室内の職人です。」といふポール・ヴァレリーの言葉が添へられてゐます。この章に小林秀雄は、一つも印を付けてゐません。そして、この辺りは、ページの切り方も乱雑になつてゐます。この本もさうですが、以前のフランスの本は、ページの端が切り揃へられてをらず、上端や前端をペーパーナイフで切りながら読む形になつてゐました。小林秀雄も、普通のところは道具を使つてきれいにページを切つてゐるのですが、第9章のあたりだけは指先で無理に切つたかのやうに、切り口が乱れてゐるのです。

想像するに、小林秀雄は、この部分を筆記用具もペーパーナイフもないところで読んでゐて、先が知りたいので、体裁には構はず、指でページを切つたのではないでせうか。だとすれば、この辺りに印がついてゐないといふことは、必ずしも、小林秀雄が関心を持たなかつたといふことは意味しません。むしろ、その逆かも知れない。小林秀雄が眼を止めたであらうと想像される個所をいくつか抜き出してみませう。

批評家としてのアランは、意図的に、偉大な作家、偉大な作品に向かつた。しかし、彼は、偉大さは主題にあるのではないと知つてゐた。「本物の詩人で、偉大な主題を必要とする者はゐない。偉大な主題とは、偉大な主題などない、といふことだ。」(p.126)
文体とは何か。文体は散文の中の詩情だ。思想が説明しないことを表現する一つの方法だといふことだ。私は、仕草や感情の表はれのやうな、身体的な表現の方法だ、とさへ言ひたい。霊感による方法で、自然の動きによつてしか表はすことが出来ず、それでゐて思想に完璧さを与へる。・・・文体は文章を地面に置く。文体は、文章の均衡、耳ざはりの良さなど、文章の法則を思はせるやうなもの全てを否定しさへする。例へば、プルーストにある、鮮やかで繊細な文末は、この作家の文体とは何の関係も持たない。・・・(p.127 この部分は、全文、アランの文章の引用)
私はアランがバルザックの文体を分析するのを見るのが好きだ。彼は、ヴォケー館についての短い一節を書き写す。「一方では・・・若く生き生きとした人物が、美術や奢侈のすばらしさに囲まれてをり、昂揚した頭には詩が満ちてゐる。他方では、汚辱や、情熱がその筋や仕組みだけしか残さなかつたやうな顔に囲まれた、陰鬱な光景・・・」 (p.128)

最終の第10章「ソクラテスは生きてゐる」では、以下の部分に印が付されてゐます。

何も不可能なことは無い、とアランは言ふ。現実の行動に身を投じ、人の力と諸君の素質の範囲で、諸君は望むものを得るだらう。「それは間違ひだ」と諸君は言ふだらう。「私はあんなに強く望んだものを何も得てゐない。」間違へないやうに。望むことは夢見ることではない。望むとは、思ひ切つて進み、辛抱強く続けることだ。誰もが望むものを得るといふのは、この意味においてだけだ。若者はそれを信じない。自分の真の願望を知らず、また、動かないで願ふだけだから。(p.145)
私は、かなりの素質を持ちながら、取るに足らない低い地位しか得られなかつた人を見た。しかし、彼等は何を望んだのか。遠慮なく物を言ふことか。彼等はそれを得た。諂(へつら)はぬことか。彼等は諂つたことはないし、諂つてもゐない。助言と、判断と、拒否による権力か。彼等にはそれも可能だ・・・」アランはアランたることを望んだ。そして、さうなつた。(p.146)
悲観主義は伝染する。私が隣人を不正直だと思ひ、警戒を見せると、彼は疑り深く、不正直になる。聴衆を馬鹿にする講演者は聴衆から馬鹿にされる。ソクラテスは下層の奴隷も理解できると考へた。だから彼は奴隷にも理解された。人間に、その隷属状態ではなく自由について語る、恐れではなく希望を教へる、これが賢者の秘密だ。幸せになると誓はねばならない。スピノザはうまい言ひ方をした。幸福は徳の報酬ではなく徳そのものだ、と。幸福は義務だ。(p.147)

アランは現代のソクラテスだ、といふ人もゐます。だとすれば、この章の題は、アランは生きてゐる、と読み替へることもできるでせう。アランはアランたることを望んだ、に倣へば、小林秀雄は小林秀雄たることを望んでゐた、と言へるでせうか。あるいは、さう強ひられてゐたのだ、と言ふべきでせうか。

以上、小林秀雄文庫の André Maurois の"Alain"をめくりながら頭に浮かんだことを書いてきましたが、実は、小林秀雄は、モーロワといふ人物を余り評価してゐませんでした。モーロワは、全集第7巻に収められた三つの作品に出てきますが、たとへば、次のやうな調子で語られてゐます。「日本の一文士」は、小林秀雄自身を指してゐます。

日本の一文士が、フランスの敗れた眞相に通じてゐては、をかしいではないか。しかし、モオロアの通俗歴史小説家的才能が、手際よく料理した、フランス敗北圖も信用する氣になれない。
僕は、してやられ度くはないのだ。さう思つて見れば、この本には、アンドレ・モオロアといふ男が見えるだけだ。巻頭の寫眞にあるやうな顔、聰明さうな、好色さうな、甘つたるさうな顔をした男が。
(第5次全集第7巻181頁)

この本を読んだのも、モーロワの考へに興味があつたからではなく、アランの近くにゐた人物にアランがどのやうに見えてゐたかを知りたかつたからでせう。モーロワのアラン評には、基本的に同意してゐたと思ひますが、同時に、戦争を前にした態度の違ひに現れてゐるやうな、師と弟子との間の大きな差も感じてゐたやうな気がします。


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