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第6章 空間

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この章ではこれまでの議論を踏まへて、空間は物ではなく

決して石ころが在る樣な具合に在るものではない。だから、例へば空間は有限か無限かといふ樣な問題も意味がない

といふところまで行きます。哲学に関心が無い方にも是非一読して頂きたい章です。要約などは必要が無いので、原文と読み比べて気づいたところを書いておきます。皆さんが読まれるときの参考になれば幸ひです。

最初の行にある表象と訳された言葉は représentation です。2行目の

物は僕等の前に現れてゐるのではない、僕等が物を現すのだ、表象するのだ。

といふ部分は、

Les choses ne nous sont point présentées, mais nous nous les présentons, ou mieux nous nous les représentons.

とあり、原文では「表象」と「現す」が同じ根を持つ言葉になつてゐます。そのあたりが分かるやうにやや無理をして直訳すれば、

物が我々に示されるのではない。我々が自らにそれを示すのだ。よりうまく言へば、我々自身に示し直すのだ。

となるでせう。

最初の段落に何度か出てくる「本能的」といふ言葉は intuition とか intuitif とかの訳で、普通は「直感的」とやると思ふのですが、小林訳で何故さうしなかつたのかは、よく分かりません。

第2段落以降に「設けられた」といふ言葉が何回か出てきます。poser といふ動詞の過去分詞です。辞書では、(物を)それが自然に収まる場所に置く、適切な場所に置く、何かの基礎とする、(質問などを)出す、などの意味が並んでゐます。距離や方向が「在る物ではなく設けられたもの」だといふのは、我々がそれを置いたもの、基礎として据ゑたものだといふことです。

第4段落の最初に

いろいろな距離のなかで、深さと言はれてゐる距離を選んでみる。

とありますが、原文は過去形なので、むしろ「選んだ」とすべきでせう。また、「深さ」とあるのは、奥行きとした方が分かり易いかもしれません。第2段落で、水平線が遠く見えるといふ例を出した事を指してゐます。それに対して第4段落では、横の広がりや、盲人にとつての距離を考へてゐます。尤も、山深しといふ様に、日本語の「深い」にも奥行きの意味がありますから、小林訳ではそれを生かしたのかも知れません。

第5段落には骰子さいの例が出てきますが、真ん中あたりで

骰子の見える稜をみんな描いて、鐵で出來た三角形の様な形にしてみ給へ

とあるのは、tringles(棒)といふ言葉を triangle(三角形)と間違へたための誤訳で、正しくは、針金で作つたやうに全部の辺が見える立方体を描いて見よ、といふことです。

この立方体を「こつち側で上からみたり、向う側で下から見たり」すると「形も感じもまるで言ひつけ通りに變る」のですが「感じ」は sens といふ言葉で、向きといふ意味もあるので、ここではその方が意味は通り易いでせう。

皆さんはこの章を読まれて、「哲學を學ぶといふ事がどういふ事か諸君にやゝ解りかけて來た」と感じられたでせうか。さうでなければ、アラン自身が最後に書いてゐるとほりになさるべきなのかも知れません。


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