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第3章 結婚

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この章でアランが言つてゐることを一言で言ふとすれば「親しき仲にも礼儀あり」でせう。私は、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を思ひ出しました。書かれてゐることは、とても良く似てゐます。フロムは所謂フロイト左派で、アランは精神分析を認めてゐなかつたといふやうな違ひはありますが。

第一段落の後半に、

そして自分の持つてゐる不變のものを、他人の手、あらゆる偶然の手に委ね、これをあたかも自然の事實の樣に檢査する。

といふ文があります。「不變のもの」といふのは constance の訳ですが、古くは「自らを律する精神的な力」を意味し、文語的な表現では「ねばり強さ」といふ意味もあります。アランは、かうした意味も含めて使つてゐるやうに思はれます。また「檢査する」と訳された constater は「事実を確認する、認める」といふ意味が普通です。

第三段落にあるオーギュスト・コントの「政治學」といふのは、晩年の著作「実証政治学体系」を指します。この文章からも伺へるやうに、アランはコントを非常に高く評価してゐました。

最後の段落に、

子供は赤ん坊の時から自然と周圍の喚き聲や激しい衝動を緩和する、喧嘩も追ひ追ひ無くなるとなれば、子供の出鱈目な泣き聲も確かな教訓を垂れてゐるわけになる。

といふ文があります。眠つた子供を起こさないやうに、両親は周りで大声を出したり暴れたりすることを避けるし、もし争ひでこの注意を怠れば、子供は大声で泣き出し、両親は喧嘩をやめるといふ訳です。

子澤山の家には神の惠みがあるといふ諺のあるのもそんな處から來たのである。

家庭の平和の基礎には、かうした言はば生物的な基礎があるのは、確かなことだと思はれます。

幸福な家庭はすべてよく似かよつたものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。

といふ『アンナ・カレーニナ』の冒頭の文句が思ひ出されます。


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