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第5章 決定論について

注釈へ

閉ざされた系、あるいは殆ど閉ざされた系の中では何が起きるかを予測できる。熱量計、電気回路、天体の位置だけを考へれば太陽系などがその例だ。単に原因や条件の全体が結果の全体を厳密に決定するだけではなく、仕事、あるいは言はゆるエネルギーの量は、仮定された分子の仕事も含めて、変化の如何に係はらず、結果においても同じになる。例へばある質量がある高さから落ちると、到着点ではいつでも同じ速度となり、衝撃は、この累積された仕事を熱に変へるとすれば、いつでも同量の零度の氷を溶かす。生き物もこの法則から逃れるものではない。動物を隔離できる限りにおいて、それが動きや熱で放出するエネルギーは、食物中に閉じこめられてゐる化学的エネルギーから排泄物中の残量を引いたものに等しい。

これが悟性の前提とするところで、完全に閉ざされた系である数学の操作が模範とされてゐる。不完全に閉じた系では、よそ者の原因を排除するための気配りによつて、期待どほりの実証が得られる。未だうまく測定されてゐない原因がこの法則から逃れてゐると仮定する理由は一つもない。さらには、既に説明したやうに、さうした仮定は言葉のうへでできるだけで、何の話をしてゐるか分からない時にしかできないものだ。従つて科学の訓練を積んだ精神がこの決定論の考へを現実の全ての大小様々な系に広げようとすることは避けられない。

機械的破壊のこの頃は、原因による決定論の悲劇的な事例が提供され、何百万人の人々はそれについて考へることを避けられない。装填された火薬がもう少し少なかつたら、砲弾は手前に落ち、自分は死んでゐた。最も普通の事故でも同様の考察の機会となる。もしこの歩行者が躓いてゐたら、この瓦が彼を殺すことはなかつただらう。かうして大衆的な決定論的思考が形作られる。科学的なものほど厳密ではないが、同様に理に適つたものだ。

ただ、そこには運命論的な考へが混ざつてゐる。理由はよく分かるやうに、人が考へる出来事にいつでも絡んでくる行動やさわぐ心に因るのだ。あの男はそこで死ななければならなかつたのだ、それが彼の運命だつたのだ、と人は結論する。さうやつて、注意しても神や悪運に対しては役に立たないといふ野蛮人の意見を舞台に連れ戻すのだ。この混同により、教養のない人達は決定論の考へを進んで受け入れるのだ。それは、運命論といふ、既に見たやうに極めて強く自然な迷信に応へるものなのだ。

だがこれらは対立する教義である。よく見れば、一方は他方を追ひ払ふ。運命論の考へは、書かれたり予言されたりしたことは原因如何によらず実現されるといふものだ。潰れた家に殺されたアイスキュロスやライオンの絵によつて死んだ王の息子の話は、この迷信の素朴な状態を我々に見せる。同様に諺では、溺れ死ぬために生まれた男は決して吊るされはしない、と言ふ。他方、決定論に拠れば、わづかな変化で大きな不幸が避けられる。明確に予言された不幸は決してやつては来ないことになる。だが人も知るとほり運命論者はこんなことでは降参しない。もし不幸が避けられたとすれば、それは運命的にさうならねばならなかつたのだ。君が治ることは書かれてゐた。君が治療を受けること、医者を呼ぶこと等々も書かれてゐた。

運命論はかうして神学的な決定論へと変はる。そして予言は完全な知識を持つ神となり、神は原因を見てゐるので結果をも事前に見るのである。残るのは神の善意と知恵のどちらが勝つかといふ論争だ。この言葉の遊びは際限がないが、最も厳密な経験では、創造主は決して物の道筋を変へず、自らが設けた法則に忠実であるといふ結論のやうだ。この廻り道により人は、諸々の原因で溺れることとなる男は確かに吊されることはない、といふ発言に戻る。自身の運命に引きずられる代りに、大きな機械に取り込まれ、その一つの歯車に過ぎなくなる。その意志自体も、行動に従ふ。彼を動かすのと同じ原因でさうしたいと思ふことになる。ある種の狂者は言はれたとほりにすると誰もが知つてゐる。その為すところを欲し、そのため自分がやりたいことをしてゐると思ひ込む。我々は皆、さうではないことを証明して見給へ。

精神を完全に痺れさせてしまふもの、それは明らかにされた決定論では、全てがその場に留まることだ。良い助言には、私がそれに必然的に従ふにせよ、さうでないにせよ、いつでも従ふのがよい。熟慮するのは自然なことだ。私が自由に決定する前にその理由を考へるにせよ、理由を調べて自分が必然的に為すところを予測しようとするにせよ。決定は、やると誓ふにせよ、自分がやるのは確かだと思ふにせよ、同じ様子をしてゐる。約束もさうだ。行動もさうだ。一人は自分が望んだところを行つたと言ひ、別の一人はさうせざるを得なかつたものを望んだと言ふ。かうして決定論は感情、信念、迷ひ、決心を説明する。智恵が君を解き放ち救ふのは、必然的であらうとなからうと、同じだ、とスピノザは言つた。とすれば、我々は何を議論してゐるのだらう。


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