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第1章 勇気について

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動物があらゆる種類の感情や意図を持つと考へたがる人たちであつても、勇気を持つと仮定することはできない。最も獰猛な動物の場合でさへもさうだ。断固として恐れを知らぬ様子を一瞬見せた後で、さつと逃げたり隠れたりするのには、驚かされる。人はしばしば人間を理性によつて定義する。この定義は誰にも当て嵌まり、さわぐ心の中に理性を見て取ることができれば、狂人にも合ふ。間違へるといふだけで、大したことなのだから。しかし人間を勇気で定義することもできるだらう。大惨事や戦争で、誰でも、楽々とした動きで、獣のやうに猛ることなく、最も恐るべき状況でも乗り越える、かうしたことほど一般的で、普通だとさへ言へることはないのだから。人間嫌ひの人は、最も美しい徳が一番よくあるものだといふことを正直に考へてみるべきだ。この高貴な種と自分自身とを愛することになるだらう。

私は恐れることによつて人間を定義してもよいだらう。動物が恐れるとは考へられないのだから。動物は逃げるが、これは同じことではない。動物に何か弱い感情を残さうとする偶像崇拝の努力は、その苦しみについてであつても、間違ひなく無意味なものだ。理性は恐れの中でも全きもので、先を見る力があり、撓むことがない。恐れは、勇気のやうに、王にふさはしいものだ。恐れの元は、いつでも物が沈黙し、危険から遠ざかつてゐるときの、秩序のない想像だ。さうだ、あの気ままな出現、一瞬の奇跡、至るところにゐる神々と精霊、実質も形もない危険、あの命を持つた自然が元なのだ。しかしかうした気の狂つた見かけを受け入れることが許されない賢者の眼には、嫌悪がある。恐れの苦しさは、自分の外の、そして自分の内の没落や混乱を見つめることにある。恐れには大きな恥づかしさがある。しかし、それはまた一つの試練でしかなく、自尊心のある勇気を予告するものだ。この恐ろしい小さな世界は君によつて成り立つてゐるのであり、君の恐れもまた君の勇気によつて支へられてゐるのだから。この醜聞は別のものを予告してゐる。自分の恐れに負ける者は考へることのない闇へと落ちるのだから。倫理意識は意識そのものだといふことを理解して貰へるだらうか。

恐れは離れてゐる時に一番強く、近付くと弱くなることは、よく指摘されてきた。それは、危険を実際以上に恐るべきものだと思ひ描くからではない。そのためではない。実際の危険が近付くと、また自分を取り戻すのだから。恐れの元は想像することそのものにあつて、思ひ描く対象が定まらず、さう見えることの原因でも効果でもある急激な中断される動きによつて、また、対象が強いといふよりは我々がしつかりと掴むところがないために働きかけることができないといふことよつて、さうなるのだ。幽霊相手では誰も勇敢には成れない。勇敢な者は現実の物に向かつてある種の軽快さをもつて進むのだ。恐怖の戻るときがないわけではないが、難しい動作が、正確な知覚と結びついて、彼を完全に解放するまで。時に人は、さうした場合に彼は命を与へるのだといふが、よく理解する必要がある。死に自らを与へるのではなく、行動に与へるのだ。だから戦争では、恐れと憎悪は一緒に後ろにゐて、勇気が、許しと共に前線にゐるのだ。説明したやうに、怒りなしでは憎むことはなく、怒りの大元は恐れなのだ。私はわたしを恐れさせる者を憎むのだ。しかし決断した英雄の姿を私に見せることで、私が自由に、明晰に、傷つかぬ身になるのを助ける者、彼を私はすでに愛してゐる。

戦争の原因の一つは、戦争を怖がつて我慢できないことだ。この状態は長続きしないといふ予感と、この恐れの底には最も美しい勇気があるといふ予感も、原因だ。戦争は待ち合はせの約束のやうなものだ。だからあんなに急いでそこに行かうとするのだ。だが、何故だらう。毎日の奴隷の状態、尊敬と服従の区別が出来ないことから来る隷属によるのだ。何といふことか。あれほど死ぬ人間がゐて、権力に立ち向かふ者はそんなに少ないのか。しかし、勇気を奮ふ機会は欠けてゐない。勇気を持つて本物の価値を測るのだ、警官を、どんなに偉くても、ありのままの価値で、嘘つきをそのままの姿で、諂ふ者をそのままの姿で、皆、精神に従つて、全てを明らかに見て許しながら。それは更に危険なことだ。しかし戦士達は皆、跪いて生きてゐる。王の前で、検査官の前で、長官の前で震へてゐる。戦争で初めて生きる機会を一二度見つけて、死ぬのだ。


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