『感想』をたどる(1~5)

ホーム >  『感想』をたどる >  1章~5章


第一章

この冒頭の章は、小林秀雄の文章の中でもとりわけ深い印象を与へるものです。「おつかさん」の死とその後に起こつた不思議な出来事から話が始まり、ベルクソンの最後の著作『道徳と宗教の二源泉』を「ゆつくりと讀んだ」ことを述べ、彼の遺書に言及します。

遺書から書き出す点といひ、「恥かしかつた」といふ小林秀雄の文章ではめづらしい言葉が登場する点といひ、『本居宣長』を自然に連想させます。『本居宣長』は冒頭の遺書に戻る形で終へられたのですが、『感想』は中断され、その結末は知る由もありません。ただ『二源泉』から書き出されたことから、そこに戻るつもりだつたのではないかといふ想像はできます。『Xへの手紙』にあるやうに、「眞つ先きに結論を書いて了」ふのが、小林秀雄の「不幸な性癖の一つ」であるとすれば。

この章で引用されてゐるベルクソンのテキストは、遺書です。ベルクソンの死後に刊行された"Écrits et Paroles"といふ文集の前書きで引用されたものです。私が持つてゐるのは"Écrits et Paroles"そのものではなく、これに掲載された文章を含め、様々な機会に収録されたベルクソンの発言などを集めた"Mélanges"といふ本なのですが、その 前書きにも、同じ部分が引用されてゐます。(脚注)

ご承知の方が多いと思ひますが、この遺言にも係はらず、ベルクソンの講義録や書簡集が出版され、前者は、法政大学出版局から翻訳も出てゐます。第4巻のギリシャ哲学講義には、プロティノスについての講義もあり、ご本人が何とおつしやらうと、覗いて見たくなります。


第二章

第二章では、先づ、第一章に続いて『道徳と宗教の二源泉』の末尾の部分について語られます。小林秀雄はこれを遺言と見るのですが、特徴的なのは、その内容よりも「一種身振のある樣な物の言ひ方」に注目してゐる点です。これは、小林秀雄が「詩人と共通するやり方」だと言つてゐるベルクソンの方法を、そのまま応用したものだと言へるでせう。「ベルグソンを愛讀した事のない人には、感じはへ難いのだが」といふ言葉にも、実際の具体的な体験を尊重する小林秀雄の考へ方が窺へます。

そして、ベルクソンは、「所謂いはゆる哲學上の大問題が、言葉の亡靈に過ぎぬ事が判明したなら、哲學は「經驗そのもの」になる筈だ」と考へたと、小林秀雄は言ふのですから、両者の親近性は明らかでせう。このベルクソンの言葉は、『思想と動くもの』の「緒論第一部」に出てきます。岩波文庫から出てゐる河野与一さんの訳(木田元さんが一冊に纏められたもの)から引用してみませう。

私は、哲学の問題は事によると提出の仕方が悪かったのではないか、しかしまさにこの理由によって、それらの問題を「永遠なもの」すなわち解決のできないものと信ずるにはおよばないのだと考えた。哲学は、エレアのゼノンがわれわれの悟性によって考えられているような運動及び変化に固有な矛盾を指摘した日から始まった。運動および変化の悟性的な表現によってき起こされたあの難問を、ますます細緻さいちになる悟性のはたらきによって克服し回避することに、古代及び近代の哲学者の主要な努力がついやされた。こうして哲学は事物の実体を、時間を越えて、動くもの変わるもののかなたに、したがってわれわれの感覚や意識が認めるものの外に求めるようになった。いったんそうなれば、哲学はさまざまな概念の多かれ少なかれ人工的な配置、仮設的構造にとどまるほかなかった。哲学は経験を超越すると称した。しかし実は、さらに深めることのできる、したがって啓示に富んだ、動いている充実した経験の代わりに、この同じ経験というよりもむしろそのもっとも表面的な層から取り出した、抽象的な普遍観念の体系、固定し乾燥した、中身を抜いた抽象物を置くことしかしなかった。これはちょうど蝶が抜け出してくる繭について議論し、飛びまわり変化し生きている蝶の存在理由および完成が皮殻の不変化にあると主張するようなものである。逆に、皮殻を取り去り、蛹を目覚めさせよう。運動にはその動きを、変化にはその流動を、時間にはその持続を取りもどさせよう。解決のできない「大問題」は皮殻だけにとどまるものかもしれない。大問題は運動にも変化にも時間にも関係がなく、ただこれらのもの、もしくはその同類のものに対してわれわれが誤ってとっている概念的表皮に関係があるだけだろう。そうすれば哲学は経験そのものになる。持続は本来の姿をとって現われ、連続的な創造、新しいものの絶えざる湧出になる。
(岩波文庫『思想と動くもの』20ページ~、一部勝手に変更しました。)

小林秀雄は、哲学が「單純な一行爲」であるといふベルクソンの言葉も引用してゐます。これは『思想と動くもの』に収められた「哲学的直観」に出てくる言葉です。また、長くなりますが、同じ邦訳から、その言葉を含む段落とその前の段落を抜き出してみます。

科学は行動の補助手段です。行動は結果を目的としています。そこで科学的悟性はその欲する一定の結果に到達するためにはどういうことをしなければならないか、もう少し普遍的に言うと、一定の現象が生ずるためにはどういう条件を与えなければならないかということを問題にします。科学的悟性はさまざまな事物の配置から配置の変更へと進み、一つの同時性から別の同時性へ進みます。したがって必然的に科学的悟性はそのあいだに起こることを無視しなければなりません。そういうことを扱うとしても、そのうちで別の配置、やはり同時性を考察するためであります。起こってしまったものをとらえるのを使命とする方法をもっているので、一般に言って科学的悟性は起こりつつあるものに立ち入り、動いているものをたどり、事物の生命である生成を取り入れることができないのであります。この後の方の任務は哲学に属しています。科学者は運動に対しては不動の姿を見てとり、繰りかえされないものに沿って繰り返しを集めるほかなく、事象を人間の行動に服従させるためにそれが展開する次々の面の上につごうよく事象を分割することに注意するものであるから、どうしても自然を相手に詭計きけいを用い、自然に対して警戒と闘争の態度をとらなければならないのに反して、哲学者は自然を仲間扱いにしています。科学の方法はベイコンが提出しているように、命令するために服従することであります。哲学は服従も命令もしません。哲学者は同感を求めます。
この視点から見ても、哲学の本質は単純の精神であります。哲学的精神はそれだけ見てもその業績を見ても、哲学を科学と比較するにしても、一つの哲学をほかの多くの哲学と比較するとしても、われわれにはやはり複雑は表面だけのことであり、構造は付属物であり、綜合は外観であることがわかります。哲学するということは単純な行為であります。
(岩波文庫『思想と動くもの』193ページ~、一部勝手に変更しました。)

ベルクソンの『意識の直接與件論』について、小林秀雄は「誤解を恐れずに言ふなら」との条件付きではありますが、「哲學者は詩人たり得るか、といふ問題」を提出したものだと言つてゐます。この章には、私の調べた限り、『意識の直接與件論』の文章が引用されてゐる部分はありません。この論文に頻出する「持續」(durée)といふ言葉に言及してゐるだけです。重要なのは、この言葉について、小林秀雄が次のやうに述べてゐることでせう。

これは單なる觀念ではない。彼が直接に見た實在の相なのである。問題を見たがまゝに提出しようとする彼のその手つきなのである。彼も亦詩人の樣に、先づ充溢する發見があつたからこそ、仕事を始める事が出來た。

次に小林秀雄が引くのは、「それは、私が、言葉による解決を投げ棄てた日であつた」といふ文で、これは『思想と動くもの』の「緒論第二部」に登場します。その前後を、河野与一さん訳の岩波文庫で見てみませう。

私が真の哲学的方法に眼を開かれたのは、内的生活のなかに経験の最初の領域を見いだした後、言葉による解決を投げ棄てた日である。その後のあらゆる進歩はこの領域の拡大であった。論理的に結論を延長し自分の研究の範囲を実際には拡大せずに別の対象に適応することは、人間の精神に自然な傾向であるが、けっしてこれに負けてはならない。
(岩波文庫『思想と動くもの』133ページ、一部勝手に変更しました。)

続いて小林秀雄は、「持続」と同様に有名なベルクソンの用語「直観」を取り上げ、「この言葉にしても、今言つた困難な事實の正視から直接に生まれたものであ」ることに注意を促してゐます。「精神による精神の直接な視覺(vision)」といふ言葉も『思想と動くもの』の「緒論第二部」を踏まへたものです。その前後は、次のやうになつてゐます。vision は「視野」と訳されてゐます。

そこで私のいう直観はなによりも内面的持続に向かう。それが捉えるのは、並置ではない継起、内部からの成長、未来にまたがる現在における過去のとぎれない延長である。それは精神に対する直接の視野である。あいだにはさまるものは一つもなくなる。空間を一面とし言語を他の面とするプリズムを通した屈折はなくなる。
(岩波文庫『思想と動くもの』46ページ)

小林秀雄が書いてゐるやうに「ベルグソンは、直觀といふ言葉が、感覺的な意味に解されるのを好まなかつたから、哲學的直觀 (intuition philosophique) といふ言葉も使」つてゐます。具体的には、『思想と動くもの』に収められた講演の題名になつてをり、この講演の中で二度出てきます。その他の場所では直観 (intuition) です。「いづれにしても、この言葉は、精神を對象とする經驗では、物質を對象とする經驗の場合に成功する悟性の機能だけでは間に合はぬ何ものかがある、さういふ事實の率直な容認から直ちに生まれた、といふところが大事」なのは、小林秀雄の言ふとほりでせう。

「山坂を登るとは、彼が自分の哲學の方法を言ふ時に、好んで用ひた比喩であつた。」と書かれてゐますが、例として『思想と動くもの』の「緒論第二部」出てくるものを以下に二つ掲げておきます。

自我の外では、物を知るための努力は自然であって、それが次第に容易となり、法則を適用していく。内部に向かうと、注意が絶えず緊張していなければならないし、進歩はますます骨が折れてくる。自然の坂を登るような気がする。
(岩波文庫『思想と動くもの』60ページ~)
してみると、精神が自分自身を振りかえる時にも、やはり悟性であろうか。人は事物に自分の欲する名を与えることができるし、繰りかえして言うが、精神が精神を認識することを今まで通り悟性作用と名づけたいということにも私はたいした不都合を認めない。しかしそれならば、たがいに逆になっている二つの悟性作用があることを特に断っておかなければなるまい。というのは、精神が精神を考える場合には、物質との接触で得たさまざまな習慣の坂を登っていかなければならず、それらの習慣を人は悟性的傾向と呼んでいるからである。それならむしろ、人が普通は悟性作用と呼んでいない作用には別の名を付ける方がいいのではないか。私はそれを直観だというのである。
(岩波文庫『思想と動くもの』117ページ)

「何故、精神は、外國にゐて内にゐる樣に感じ、我家に還れば、外國にゐる樣に感ずるか」といふ言葉、「人間の己れにする無知は、生活の、行動の必要にずる自然的傾向であり」云々といふ言葉も、『思想と動くもの』の「緒論第二部」に出てくるもので、この章の後半は、「緒論第二部」を中心に展開されてゐるのが分かります。


第三章

第三章では主に『意識の直接與件論』について論じられます。当時、岩波文庫から出てゐる翻訳は、服部紀氏によるものでしたが、現在店頭に並んでゐるのは中村文郎氏訳です。この章の初めで、小林秀雄が「流行れのベルグソンには、不易なものがある、といふ風な言ひ方は止めにしたい。」と 書いてゐます。この章が雑誌に載つたのは1958年ですが、中公文庫版の澤瀉久敬さんの『ベルクソンの科学論』に付された解説で中村雄二郎さんは、そんな時代の状況を、かう書いてをられます。

在世当時とくに一九世紀末から二○世紀の三十年代まで絶大な影響力をもっていたベルクソンの哲学も、第二次世界大戦という時代の大きな断絶を経た戦後世界では、サルトルをはじめとする実存主義の華々しい登場の蔭に光芒を失ったかにみえた。

中村雄二郎さんが、これに続くパラグラフで書いてをられるやうに、生物などの複雑なシステムについての研究が進むに連れて、ベルクソンの考え方の重要性が再認識されてゐるやうです。とは言へ、現在でも、自然科学者は、相変はらず明確に区別できる物体間の直線的な因果関係といふ考へによつて研究を進めてゐる場合が多く、それが生命の姿を見えにくくしてゐるやうに思はれます。遺伝子解析などの新しい研究手法が出てきたために、基本的な考へ方は変へないまま、新しいデータを取るのに忙しいやうに見えますが、早晩、根本的な考へ方の問題にぶつかるのではないでせうか。自然科学者も、もつとベルクソンを読むべきだと考へます。

さて、小林秀雄のベルクソン論は、少なくとも実際に書かれた部分だけを見れば、主として『物質と記憶』と、これに関連する論文を扱つてゐます。『意識の直接與件論』は、この第三章のほかには、第十二章、第三十二~三十三章で言及されてゐる程度です。ただ、小林秀雄がベルクソンを論じることで言はうとしたことの一つは、この章にも明確に表れてゐるのではないでせうか。

2002年9月号の『文學界』に郡司勝義さんの「一九六〇年の小林秀雄」といふ論文が載つてゐます。その中で郡司さんは、小林秀雄が恩師の辰野隆から勧められて幸田露伴の『努力論』を読んだ話や、『物質と記憶』から読みとつたものは何かを訊ねたときに、「生命ッてね、努力なんだよ、かうやつて毎日生きてゐることは、身體が努力してゐることなんだよ。」と言はれた話などを紹介してをられます。人が生きるとは、自然に流されるのではなく、努力することだといふ考へ方は、この章の随所に現れてゐますが、次の一節もその一つでせう。

自我の表層を、容易に知覺するのも、自我の深層を困難に打ち勝つて掴むのも同じ自我だと悟るのが難しいと言ふのだ。何故難しいかと言ふと、そこに至る道は、經驗上、自己集中、自己反省といふ言はば反自然的な道を辿るより他はなく、これは、眞の持續のうちで思惟する難しさに他ならないからだ。困難を避ければ、人間は人間たる事を、人格たることを止めるであらう。定義出來ない自由を敢へて呼べば、「人格の印を荷ふ行爲」となる。自由とは、自我の全體性を取戻すことだ。取戻さなければ自由はない。

露伴の『努力論』は2001年に岩波文庫から新しい版が出ました。私の個人的な趣味では、「旧字・旧仮名で書かれた作品の表記の現代化」なぞは無用なお世話ですが。


第四章

第四章は、論文集『思想と動くもの』の序論を中心に議論が展開されます。この章の冒頭で、ベルクソンが目指したのは表現の厳密性であり、それは説明がその対象に固着してゐるといふ意味であることを述べてゐますが、その基になつた議論は『思想と動くもの』「序論 I」の冒頭部分にあります。ここに出てくる「風呂敷」といふのは、おもしろい比喩ですが、これは日本人向けに小林秀雄が考へたもののやうです。

「上と下、と重、乾と、そんな風に呼ばれた要素的概念をアプリオリに構成する事が、自然現象の説明とされてゐたのである。」といふあたりは「序論 II」を踏まへたものです(河野与一訳、岩波文庫版では66ページ)。ベルクソンは、ギリシャの哲学を念頭に置いて書いてゐたに相違ありませんが、陰陽五行などの中国哲学を連想させ、これを強く批判した本居宣長も思ひ起こされます。

この引用部分の少し後で、ベルクソンは、彼が主張する経験に基づいた哲学が、単純な結論や根本的な解決を約束するものではなく、解決は不完全で結論は暫定的なものであるが、その確かさは次第に増すのだと述べてゐます。その例として彼が取り上げるのは、「精神は身体よりも後に生き残るか」といふ問ですが、小林秀雄はこれには言及してゐません。

『創造的進化』の有名な砂糖水の事例をもとに、「時間にする尋常な人間經驗の二つの面」があり、その一方を科学が、他方を哲学が精緻化するのだ、といふ方向に論を進め、「序論 II」に戻つて、少し長い引用をし、それを元に次のやうに述べてゐます。

ベルグソンの影響は、ベルグソニアンに於いて一番淺薄であるかも知れないし、眞の影響は、彼が望んだ通り、靜かに、強く、少しも目立たぬで行はれてゐる樣にも思はれるからである。

前回、中公文庫版の澤瀉久敬さんの『ベルクソンの科学論』に付された中村雄二郎さんの解説の一節をご紹介しましたが、それに続く部分で、中村さんは、かう述べてをられます。

けれども、人々のそのような速断を覆すように、相継いでベルクソンの再発見が行われた。その主なるものだけを挙げても、一、その<時間>の観念は、サイバネティクス理論のうちで大きく見直された、二、宇宙についてのその<創造的進化>の壮大なヴィジョンはテイヤール・ド・シャルダンの新しい宇宙進化論を鼓舞した、三、知覚の能動的な側面をとらえたその<運動図式>(行動への身体の身構え)の考え方をメルロ=ポンティは<身体図式>(実存的身体の基盤)の考え方によって継承、発展させた、四、そのトーテミズムについての考察は、レヴィ=ストロースによって構造主義的な思考の一つのすぐれた先駆とされた。
(中公文庫版『ベルクソンの科学論』177ページ~)

この章は、文学性と科学性とを合はせ持つベルクソンの文体の例として、これも『思想と動くもの』に収められてゐる「ラヴェソン論」からの引用で締めくくられてゐます。(河野与一訳、岩波文庫版では356ページ)


第五章

第五章は、ベルクソンが使つた直観といふ言葉が主題になつてゐます。日本語では、直観と同じ音で「直感」といふ言葉があり、普通は、論理的で緻密な考へに対して、好い加減な思ひつき、といふ意味で使はれてゐますが、小林秀雄がこれまで努力といふことを強調して来たことからも分かるやうに、ベルクソンの説く直観は「直感」とは全く異なるものです。ちなみに、フランス語で intuition といふ言葉の意味には、大きく次の二つがあります。

  1. (哲学で)論理に依存しない直接的な知識の形
  2. (普通に)確かめられないこと、まだ起こつてゐないことについての、はつきりとした、あるいは、ぼんやりとした感じ

とは言へ、ベルクソンが「直觀といふ言葉を使ふのに長い間ためらつた」のは、哲学的な用法と日常の用法が混同されるのを恐れたからではなく、哲学の分野に限つても、直観といふ言葉が様々に使はれてゐたからなのは、この章の初めに書かれてゐるとほりです。小林秀雄は、直観とは「世界を統一的に理解しようとする哲學者達」がするやうに「一段高級な概念と化す」べきものではなく、日常経験のうちにきざした「一種の視覺ヴィジョン」であると述べて、第二章と同じく、具体的な経験の重要性を強調してゐます。

このあたりまでが、論文集『思想と動くもの』の「序論II」を元に論じられ、これ以降は、同じ論文集の「哲学的直観」からの引用が続くのですが、ここで小林秀雄は小さな誤解をしてゐるやうに思はれます。具体的には全集の41ページの末から42ページにかけての、以下の部分です。

誘惑は、哲學的直觀が、經驗つまり意識のうちに何處までも深く這入り込めると妄想するところから來る、とベルグソンは考へる(L'intuition philosophique)。經驗の二面性は、何處までも附きまとふ。意識への直接な反省が、自己への直觀が、物質の内部へ、生命の内部へ、要するに實在全體の内部へ、樂々と限りなく侵入出來ると考へるとしよう。それには先づ意識は物質の隨伴現象に過ぎない、物質に加へられた附隨物アクシダンに過ぎないと考へられねばならないが、さういふ假説が、事實に反する事は「物質と記憶」で、充分に證明した、とベルグソンは言ふ。

ここでは、直観が物質や生命の内部に入り込むことが、「楽々と限りなく」といふ条件つきではありますが、不可能だと解されてゐます。しかし、ベルクソンの原文では、意味が逆になつてゐるやうに思はれます。

実は、河野与一さんの訳でも、小林秀雄が読んだやうに訳されてゐるのです。河野与一さんは、岩波文庫の『思想と動くもの』の解説で木田元さんが書いてをられるところによれば「古今の十数ケ国語に通暁し、語学の天才と謳われ、その豊かな学殖がいまだに語り草になっている」人ださうで、そんな方の御説に素人が異を唱へるのは無謀といふものですが、ともかく、卑見を述べてみませう。問題の部分の訳は、かうです。

こうして意識が自分自身の奥底を探るに従って、物質や生命や事象一般の内部にいっそう深く入るでしょうか。もしも意識が物質の上に属性として付けくわわったものだとすればそういう事実を認めることもできましょうが、そういう仮説は普通見られている側面からすると虚妄もしくは虚偽であり、自分自身と矛盾しもしくは事実と矛盾するということは、私は前に示したつもりです。
(岩波文庫『思想と動くもの』192ページ)

問題は、ここで「認める」と訳されてゐる contester といふ語です。この言葉は「異議を申し立てる」、「認めない」と訳すのが普通で、ここでも、さう解するのが良いと思はれるのです。「認めない」と読めば、ベルクソンは、意識が自分自身の奥底を探ることで、物質や生命の内部に一層深く入ることができると考へてゐたことになります。この方が、上記の引用部分の前に書かれてゐる、科学と哲学とを二つの異なる経験であるとして、前者では意識が外の向かつて拡がるのに対し、後者では意識が内に向かつて深まるといふ議論とうまく繋がるのではないでせうか。

ここを逆に取つたために、このあたりの小林秀雄の論の進め方には無理があるやうに感じられます。これは想像ですが、小林秀雄は、河野与一さんの翻訳を参照してゐた可能性もあります。郡司勝義さんの『小林秀雄の思ひ出』によれば、河野与一さんは、殆ど読む人がゐなかつた『感想』を「最初から最後まで丹念に熟読してゐる人」であつただけではなく、小林秀雄は、河野さんに「時に応じて文献も整へてもらつたことも多々あつ」て、「さんざんお世話に」なつたと語つてゐたさうです。 (『小林秀雄の思ひ出』20ページ~)

ともかく、「哲學的直觀とは、この接觸であり、哲學とはこのはずみ(élan)である」といふ言葉などを引用しながら、小林秀雄は、ここで、ベルクソンの言ふ哲学が、科学や日常の知覚とは違つて、「自己集中の方向」をとり「内方に向つた經驗」を得るものであることを述べてゐるのです。

第五章の後半では、ベルクソンのヴィジョンに「科學は抵抗するものとして現れるが、藝術は、いつもそれを吸引するものの姿をとる。」と述べて、芸術の話に移ります。「さういふものに到らうとして、彼は、言葉を取り集めてゐるのではないので、さういふものが分裂して言葉になる事が、本當は示したいのである。」とか、「指す物を誤れば、抽象的言語も、科學的な明確を誇りつゝ、低級な文學的比喩に墮するであらうし、一見比喩と見える表現も、對象が適切に選ばれてゐれば、言ひ代へれば、比喩によつてしかこの對象は掴めぬといふ痛切な意識によつて比喩が使用されてゐれば、嚴密な明瞭な表現となるだらう。」など、注目すべき文章がちりばめられてゐます。

話は、ベルクソンと同様に芸術を重んじた哲学者ショーペンハウエルへと進み、一見、両者の思想は異なるものと見え、ベルクソン自身もショーペンハウエルについては否定的な意見しか述べてゐないが、実際には共通点が多いと指摘されてゐます。「もし、ベルグソンが、例へば、バークリの哲學にして行つた樣な照明を、ショーペンハウエルの仕事にして行つたなら、到るところに、親近を見附けたであらう。」とありますが、これは「哲学的直観」にあるバークリについての記述を指してゐると思はれます。

後半では、再び「序論II」からの引用が見られる他、「変化の知覚」の一節への言及などもありますが、いづれも『思想と動くもの』に収められた文章です。


《脚注》

  1. ベルクソンの遺言

    2002年に Presses Universitaires de France 社から出た書簡集"Correspondances"には、遺言のもう少し長い抜粋が載せられてゐます。(P.1669)

    (本文に戻る)


1章~5章 > 6章~10章

ホーム >  『感想』をたどる >  1章~5章

Copyright (C) 2007 吉原順之