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第9章 心(âme)の大きさについて

注釈へ

現代人はこの徳を殆ど論じない。多分、さわぐ心が避けられぬことと精神の自由とを同時によく考へたことがないからだらう。デカルトは、我々が自らの自由意志 libre arbitre について持つ気持を、寛容 générosité と呼びたがつた。これはとても良い名づけ方だ。しかし、心の大きさは、単に何か大きなもので、全ての判断者として、自然に全てを乗り越えるものを持つことだけにあるのではない。それには、また、人間の弱さを正確に測ること、それに対して甘くも厳しくもなく、言葉の一番深い意味で丁度良い(juste 正しい)ことが前提となる。許さねばならないことが多いのは誰もが知つてゐる。さわぐ心でそれを忘れ、全ての言葉、全てのもの忘れ、全ての意図を帳面につけてゐる人達は、とても不幸で意地悪だ。しかし、それでも許すことを知らねばならぬ。

寛容さを見せはするのだが、約束や後悔、そして考へを改めるといふ全ての印を手に入れてからさうする人達に、私は会つたことがある。私はそこに矮小さや駆け引きを見るが、とりわけ目に付くのは、全ての動きに考へがあると思ひ、私がよく言ふやうに、動物に精神を持たせる傾向である。心の大きさは、矮小さに対して、大したことはできない。矮小さとはそれほど違つてゐる。それはあくびをする人に、退屈してゐると批判することであり、その人にその考へを与へることだ。「赤と黒」の中で善良な修道僧ピラールは、邪気無くかう言ふ。「私は不幸なことに怒りつぽい。私達は会はなくなるかも知れない。」この告白には少し心の大きさがあるが、それでも自分自身の怒りに自分の考へを合はせようとし過ぎてをり、さうして怒りを重く見てゐる。自分の気分を重く見るといふのは、矮小である。

人は、しかし、それを改めるために重く見るのは良いことだと言ふだらう。倫理は、まさにこの考への輪の中で動くのだ。私は、この自分について思ひを巡らせ、全てを太らせることを、良く思つてゐない。もし言ひ訳をするとすれば、さらに悪い。それは意味を持たぬことに意味を見つけることだからだ。考へたり、欲したり、憎んだり、愛したりすることを自らに禁ずることは出来ないといふ考へが出てくるのは、かうした誤解された、不幸な、そしてしばしば悪をなす人生からだ。そして、何たることか、この同じ人間が、この考へ方で、その振舞ひにより、しばしば自分でも知らぬ間に、全ての人間、大地の全てを愛し、憎み、欲し、呪ふのだ。しかし、それは何でもないのだ、人が何でもないと判断すれば。人間の本当の社会では、機械的なものは全て、その根本から消し去ることを知らねばならない。

一人の娘つ子が、実に些細なことからお祖母さんとけんかをして、ついには私も死にたいと言つた。大切にされてゐた妹の墓は、まだしつかりと閉ぢられてゐなかつた。私は、それを笑ふことしかしない。予期せぬ雑音が偶然に意味を持つたときのやうに。礼儀からさうした反応が抑へられることは、悪いことではない。しかし、懸念されるやうに、礼儀で工夫が妨げられ、退屈によつて平和が保たれるのであれば、私は、あらゆる雑音が伴つても、自由を選ぶ。細かなことが大きく見えるのは、私達が注意を払ふからでしかない。もし、それが出てきた単なる機械的な動きへと追ひ返せば、全く消えてしまふだらう。他人が欠点を克服できるやうに、それに全く注意を払はないことで何をなし得るかを人は知らない。スピノザは、正しく真似の出来ない芸当で、人は食欲を持つて食べることで恐れて食べないよりも病をより直接的に避けることが出来る、と言つた。私はそれを真似て、我々の悪徳から我々を癒すものは我々の徳だけだ、と言はう。心の大きさが目指すのは、そこだ。

かうして、精神の作品の中には、いつでも多くの弱さがある。そして、素晴らしい表現にも、偶然が多く働く。小さな精神はこれにしか気を止めず、些細なことはやり過ごして天才のひらめきと自由を待たうとはしない。「告白録」の末尾あたりのやうに、不機嫌がまた顔を出しても、幸運にも、私には道を通る馬車の騒音ほどにも気にならない。しかし、私は、少し勇ましすぎる趣味の良い人のやうに、美しい本の一番良いところを抜き出して、そこしか読み返さない、といふところまでは行かない。逆に、正直な音楽家が(不協和音の)準備や埋草だと呼ぶものが、そこに感じられるある種の喜びや、それをそのままで通す考への大きさにより、やがて私の気に入るやうになる。まだ眠つてゐる考へが、その登場にあたり、どんな風に簡単な形の全く異なる物を捏ね上げるかを知る人は、文体の何たるかを少しは心得てゐることにならう。


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