ホーム >  小林訳注釈 目次 >  第1部 目次 >  第7章

第7章 感覺と悟性

翻訳へ

章の題名にある悟性は entendement の訳です。日本語では殆ど使はない言葉ですが、フランス語の entendre といふ動詞は、分かるといふ意味で日常会話にもよく出てきます。名詞になつた場合の意味を辞書でみると、次ぎのやうです。

  1. (哲学的)理解する能力、(日常的)知的能力全般
  2. (哲学的、理性(raison)に対する)カントでは、諸感覚を整合性のあるシステムに組上げる精神の能力(理性は、悟性の諸概念を統合する)。(転じて)経験的に与へられたものに働きかける論理的な思考の形。

第1段落では、空間についてカントの定義と『八十一章』での定義の差が説明されます。ただ、「この相違は、「概論」では、さほど重要なものではない。」さうなので、これ以上立ち入りません。

第2段落は、数学者が三次元の空間を経験上の事実だと言ひ度がることを取り上げますが、これも「あまり細々したところへ這入つて行くのは止めよう。」といふことなので、それに従ひます。空間は悟性の働きの結果か感受性によるものか、あるいは、三次元が経験上の事実だと主張する数学者達がどこで間違つてゐるのかといつた問題はさておき、大事なのは、空間が精神活動の形式であるといふ発見です。

第3段落は、これまで述べてきた

幾何學的形式を持つた豫想といふものと所謂いはゆる學問の形式といふものとの間には、切つても切れないつながりがある事

を繰り返します。その後で「僕は目的を忘れてゐるわけではない。」と言ひますが、これは「序言」で精神の見張りが哲学の目的だと述べてゐたことに対応します。

また、この段落の最後の

人々の意見や品行の監視は、人々の議論がおしまひにならないうちにやるのが有效だ。

といふ文は、

人々の議論がおしまひにならなくても、意見や品行を有効に監視することはできる。

と訳すほうが分かり易いでせう。肝心なのは、学説として完成した主張や議論ではなく、よく生きる為の道具としての哲学だと言ふのです。

第4段落では

強さを積つてみるには、これを長さに代へてみなければならない

ことが音、温度、重さなどの例で示されます。

第5段落は、前段の冒頭にある「刺激に關する學といふものはない。」といふ主張の根拠の説明です。

その感じてゐるその事に就いての學問といふものは成り立たない、何故かといふと感じてゐる事には誤りといふものがまるでないからだ。

といふ論の運びは印象的です。

物の眞とは、その形とか位置とか其他すべての物の特質を定める空間上の諸關係全體に他ならぬ。

といふ主張に就いては、次章で詳しく説明されます。


第6章 < 第7章 > 第8章

ホーム >  小林訳注釈 目次 >  第1部 目次 >  第7章

Copyright (C) 2005-2006 吉原順之