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第2章 禮儀

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礼儀とは

我知らず自ら希はぬ意味を相手に感じさす身振りや表情を整頓する

ことにあるとアランは言つてゐます。整頓すると訳された言葉は régler で、整へる、制御するといふ意味です。「野蠻人達が、儀式上の禮儀の樣々な形式に執着する」のも「外交官の禮儀が野蠻人の禮儀に似てゐる」のも、誤解を与へないための用心だといふ訳です。

第二段落では

禮儀は親切ではない事を注意して置く。禮儀を缺かないで、意地悪くもなれゝば不愉快な事も出來る。

と言つてゐますが、これは慇懃無礼のやうな態度を指すのでせう。ただ、慇懃無礼といふ言葉を使ふと「礼儀を欠かないで」といふ部分と形の上で矛盾します。中村雄二郎さんは

不作法でなくても、不愉快であったり意地悪であったりすることがありうる。

と訳してをられますが、巧みな訳だと思ひます。

この段落で「世渡りの道」と訳されてゐるのは savoir-vivre で文字どほりには生き方を知つてゐることですが、礼儀を心得てゐることを意味する言葉です。また、この段落の後半にある「節奏」はリズムのことです。

同じ段落に

禮儀正しい社會の快樂は、感動を情熱に變形させる傾向がある。

といふ文があります。「感動」は émotion で、「情熱」は passion です。émotion は情動と訳されることもありますが、体の調子を狂はせるやうな激しい感情を指す言葉です。passion は情念と訳され、心を独り占めするやうな強い感情や精神の状態を指します。ですから、この文は、礼儀正しい社会では、体を狂はすやうな激しい感情が、心の動きを体の動きに出さないといふ礼儀の働きにより、心に中に閉ぢ込められるのだが、それにより心が乱れることになるといふことを述べてゐるのだと思はれます。

最後の段落に以下のやうに訳された文があります。

二人がどんなに仲が良くても、何等かの禮儀が強制されてゐなければ、平和は維持出來ないといふ事を理解すれば、はつきり解る事だ。

「はつきり解る事だ」といふ部分は原文の C'est une belle raison に相当するものだと思はれますが、belle (うつくしい、立派な)といふのは多分反語です。親しい二人の間でも礼儀がないとうまく行かないのに、二国間の関係が緊密だから戦争は起きないだらうといふのは、大した理屈だ(つまり、理屈にならない)と言ひたいのではないでせうか。


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