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第6章 力学について

注釈へ

力学について少し述べねばならない。人は普通これを幾何学の経験への最初の応用だと考へる。幾何学や代数でさへも、算数と、そして全ての科学と同様に、自然の科学である事を忘れてゐるのだ。だが力学ではこれが更に明らかとなる。だからここでも簡単なものから出発し再構築するといふ同じ方法を示さねばならぬ。知られてゐるものだが心に残る例を扱ふ。石を空中に垂直に投げる。石は同じ線に沿つて落ちて来る。何が起きたのかを正しく言ひ表すことだけが問題だ。純粋な力学によれば以下のやうになる。ただ例が複雑にならぬやうに空気の抵抗は無視する。

まづ石に上向きの一定の 速度の運動を与へる。毎秒二十メートルとしよう。慣性により、つまり単に力が働かないことにより、この石はこの速度で真つ直ぐに限りなく進む。よろしい。だが全ての物体は落ちる。この石の運動にも係らず石は落ちて来る。地球の近くにある全ての自由な物体と同様だ。落ちるといふのは垂直に加速度運動をし最初の一秒では約五メートルを進むといふことだ。かうして二十メートル登るのと同時に五だけ下がる。そこで地上十五メートルにあるわけだ。二秒後には動きつづけて三十五メートルになるだらう。依然として二十メートルといふ速度を持つてゐるのだから。そのとほり。だが同時にこの第二秒の間には約十五メートル落ちてゐる。全体では地上二十メートルにあるに過ぎない。この分析を続けると石が落ちてきてついには地面にぶつかり動きが止まることが分かるだらう。

私はこのとても簡単な例を、その他の例についても必ずさうすべきやうに、厳密に逆説的に分析した。運動の合成の原則を示すためだが、これは経験により示唆されるものではなく逆にみかけを経験あるいは客体の状態へと移さなければならないのだといふことがはつきり分かる。また空気の抵抗は無視されたが、このやうな冗語法を使ふとすれば、これを加速度を生じる力として導入するのは容易いこともよく分かる。ただ運動とは逆向きになる。砲弾の運動も同様に分析される。惑星の運動も同じだ。

ここで運動の合成の美しい例を取り上げたい。デカルトによるもので、その後専門家の批判にさらされた。これは科学 science と省察 réflexion とが別物だといふことを示す。デカルトは弾性的だと仮定した球が硬い平面にぶつかる運動を分析する。定義は抜きにしよう。彼はまづ一番簡単な場合を調べる。球が平面に垂直に落ちる場合だ。同じ道筋で撥ね返る。といふのは定義から垂線の廻りでは全てが同一だから。だがここで大胆な分析が来る。球を斜めに投げる。この運動を球が同時に行ふ二つの別の運動の結果だと見たい。一つは平面に垂直で他方は平面に平行だ。最初のものは垂直に撥ね返され、後のものは障害物なく継続する。単純に合成すると反射角は入射角と等しいといふ結果が得られる。

この思ひ切つた分解を 前にして弱い精神が恐れることほど事情を明らかにするものはない。弱い精神は平面とは何かを見ず、斜めの衝突は何物でもなく、平面はそれと垂直な方向しか限定しないことに気付かなかつたのだ。かうしてこの分析は、ビリヤードが提供する想像上の証明を拒否して、考へ idée を持ちつづけることしかしてゐない。これが判断 jugement の厳しさであり、これなくしては精神が自らその客体全てを秩序付ける高度な分析への真の道はない。

仕事といふ概念 idée も簡単な概念の一つであり近代力学を照らしたが、その純粋な姿を示したのはどのやうな観察者ターレスに対してなのか誰も良く分かつてはゐない。一桶の水が一メートル持ち上げられると仕事である。ニ桶の水が一メートル持ち上げられるとニ倍の仕事でありニ倍の重さに打ち勝たねばならない。だが一桶の水をニメートル持ち上げると、これもまた二倍の仕事である。そこでこの一桶の水を一メートル持ち上げるといふ仕事の単位によれば十桶の水を十五メートル持ち上げる仕事は重さ或は力と長さを掛けて求められるといふ考へが出て来る。そして全ての桶が障害物なく落ちればその地面での衝撃はこの仕事により測られ、生きた力 force vive と呼ばれる。

だかここで驚くべき応用がある。一般的に剛体を運動させるとその部分は全て同じ動きをする。これは単なる並進運動だ。だが物体の一点が固定されると回転が見られる。そこでは全ての部分が同じ時間に同じ道を進まないのは明らかだ。梃子や車輪はさうだ。巻上機につけられた滑車も一部分がより早い動きをする。水圧機もさうだ。機械と呼ばれるかうした仕組みがそれを動かすために費やされる以上の仕事をすることが出來ないと決めて、全ての場合にFL=F’L’と書き表す。そこから力は動いた道のりと反比例の関係にあることが出て来る。かうして、運動がどう伝へられるかを見ないでも、歯車式或は水圧式の起重機の力を一度に掴まへる。だが滑車や梃子である歯車或は圧力の分析は、どの場合でも、この殆ど機械的な操作よりも精神を照らす。この例で我々は驚くべき考へる raisonner 機械としての代数へと導かれる。


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