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第7章 算術と代數學

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第三部は、第一章で書いたやうに「推論による認識」あるいは<語ることを通じた認識>が主題ですが、この章では数学といふ言葉で何が語られるのか、認識の道具としての数学の特徴は何かが述べられてゐます。

事物の考察自體を事物の表象の操作に置き代へ、一般言語に翻譯されたその整頓された最後のものが、自然な方法では解決の困難な又屢々解決不可能なものの解決を與へる、そこに代數學の凡ての力は由來する。

といふ事は、鶴亀算を x と y で解かれた方は実感できるでせう。

また、最後の部分にあるやうに

あらゆる事物を、一段と單純な讀み易い同じ種類の諸關係に依つて表現する。

といふ代数学の抽象化能力が、異なる現象の背後に類似の関係を見出す手助けとなつてゐることも理科系の方には当然の話かも知れません。

翻訳の問題を二つばかり。まづ第二段落の

重ね合した立方體の一つの稜の長さが、小さい立方體の八倍ある

云々といふ部分ですが、これは

立方体の一辺を二倍にすると最初の小さな立方体の八倍になる

といふのが算数としても正しい。

また、そのすぐ後に

小さな牧人の知覺する空にも、ニにニを掛ける事を知らず、三に一を加へて四を作る樣な子供の知覺する小さな立方體で作る大きな立方體にも、何等の混亂はないのである。

といふ個所があります。ここは、直訳すると

小さな羊飼が見上げる空の複雑は、三足す一がニ掛けニだと知らない子供が見る立方体でできたこの立方体に勝るものではない。

となると思はれます。つまり、例へば雲の様子から明日の天気を読み取ることを知らない牧童は空を見上げても複雑さしか感じない、同様に数学の眼を持たない子供が上に出てきた小さな立方体八つでできた立方体を見ても何の関係も見出せない、と言ひたいのだと私は読みました。


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