この章でアランは、音楽、絵画、彫刻などに例を取りながら、自由な仕事とはどのやうなものかを述べてゐます。大事なのはモデルを見ることではなく、作品に集中することであり、モデルを写すデッサンでさへも、
常にデッサン自體に從つてデッサンを續けたり止めたりする或る運動が存するので、デッサンの非常な美しさが、モデルとの類似には由來しない所以なのである。
と言つてゐます。
またモリエールやシェイクスピアの
仕事の美しさは、主題にもなければ、 豫 め定められたものにもない、むしろ所謂 筆の勢ひといふものにある、即ち過たずに持續する、行爲であり同時に自由な判斷であるものにある。
とも言ひます。
アランは一度書いたら直さなかつたと伝へられてゐますが、これもその場その時の判断を重んじたからでせう。そのためか、アランの文章はついて行くのに骨が折れる場合が屡々です。あちこちにある岩を跳びながら流れを渡るやうに、話が跳びながら先に進むのです。少し離れた岩へと勢ひをつけて跳んだら、次には別の向きの岩へと移らなければならず、水に落ちることも度々なのですが、うまく渡り切れば、アラン自身の身のこなし、心の動きを辿れたといふ気持になれるところが魅力ではないでせうか。
しかし、決断すれば良いといふ訳でもなく、疑ふことも正しい行動には不可欠だといふ次第で、第十章は「懷疑」です。
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