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第11章 暴力

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第九章からの三つの章は、恐怖は怒りを生み、怒りは暴力へと繋がるといふ具合に並んでゐます。

最初の段落に、「先づ大概の人々は、言はば運動不足の生活をしてゐるもので」云々といふ文があります。我々の情念は身体的なものに因るところが大きく、強張つた身体を体操でほぐすのは、情念に流されないための有力な手段だ、といふアランの考へ方が現れてゐる部分です。

同じ段落に、

最大の不幸は恐らく正義は權力によつて出來上るといふ處にある、人は、爲に、正義を憎み、悪を愛するに至るからだ。

とあります。「正義は權力によつて出來上る」は、<正義は力によつて為される>と、また、「悪を愛する」は、<(正義を)愛し損なふ>とした方が、原文の意味に近いのではないでせうか。

この段落の最後の方に、「かういふ動きの因となつてゐたある男が」云々とありますが、原文では Un prisonnier de ces choses とあるので、「因」は「囚」の誤植で、「とりこ」と読ませるのではないか、といふ気がします。

その後にある

多數人にとつて、思想とは職人の樣なもので、保護者を持つてゐる方が勝つに決つたものだ。

といふ一文は難解です。後半を直訳すると<翼を持つのはいつでも勝利(の女神)だ>となりさうです。小林秀雄MLでは、

敢へて一つの解釈を示せば、多くの人は、思想が他人の気に入る品物を作る職人だと考へてゐるだらうが、実は空を飛ぶ羽を持つた自由なのである、といふ具合ですが、全く自信はありません。

と書きましたが、今の意見では、この読み方は間違つてをり、

確かに、多くの人にとつては、考へるとは作り事をすることで、(議論に)勝てばいつでも空に舞ひ上がるのだ。

と読むのが正しいといふ気がしてゐます。議論は他人に認めて貰ふことだけの意味しか持たないと考へる人達の話をしてゐるところですから。

最後の段落の文章は、これが第1次大戦の最中に書かれたことを思へば、驚くほど率直な権力批判になつてゐます。Pléiade 版の解説に拠れば、1917年に出された初版は、検閲証なしで出されたといふことなので、内輪にだけ配つたのかも知れませんが。

豫言者等の怒りと諸事實の上に働く彼等の力とがこれを養ふのである。それと言ふのも、不幸にして僕等にとつて、豫言する者は又同時に決定する者といふ事が動かせないからだ。

とある、予言し、決定する者とは戦争を決定し、推進する権力者に他なりません。


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