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第2章 賭博熱

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第五部でアランは、恋愛、野心、貪欲といつた情念について述べてゐるのですが、退屈の次に来るのは賭博熱です。アランを読む楽しみは、哲学といふ言葉で普通に思ひ浮かべる認識論のやうな議論に留まらず、その応用として、現実の世界の問題を考へる手だてを与へて呉れるところにあると思ひます。

例へば、賭博は「一つの試みがその前の試みに依存しない世界で行はれる」ので、「凡てがどう仕樣もない連鎖の下にある世界に行はれる實際の試みに屢々絡まる絶望といふものが無い」ため、「希望が常に新鮮」だといふ指摘は、賭事の特徴の一つを鮮やかに示してゐます。

しかし、賭博は待つて呉れないので、賭博者は「己の身體に相談して、躊躇なくこれに從ふ技術」を身につけることとなり、色々な物事を教へられるにつれて、遂に「大賭博では、何物も運命の手を逃れられない、といふ悲しむ可き確信が出來上る。何も彼も失くして了はう、身も亡さう、といふ意志はこゝに由來する」といふ分析も、面白い。

アランの文章は、話があちこちに飛ぶので、意味を決めがたいことがよくあります。この章にも、さうした箇所が幾つかあつて、小林秀雄訳とアラン著作集の中村雄二郎さんの訳を比べて見ても、二つ三つ、解釈の異なるところがあります。

例へば、第二段落の始めの方に「心臟が跳り、筋肉が張切つてゐる以上、神託は過たぬ。」といふ文があります。中村雄二郎さんの訳では、「心臓が高鳴り筋肉が張り切っているかぎり、神託にはこと欠かない。」となつてゐて、manquer といふ動詞を過つと読むか欠けると読むかの違ひが出てゐます。

この部分は、中村さんの訳の方が良いと私は思ひますが、他の部分では、小林訳が優れてゐると思ふところもあります。81章もある作品ですから、いくら小林秀雄でも、訳してゐて調子が出る部分とさうでない部分があつたと思はれますが、細かな点はともかく、全体としてこの章は、私のやうな者が言ふのもをこがましいのですが、気持ちが乗つた良い訳になつてゐるといふ気がします。


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