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第3章 恋愛

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順に、読みにくい所や小林訳とは別の訳し方もあるところを解説してみます。まづ第一段落の真ん中辺りに、次のやうな文があります。

戀愛にあつて、肉の行爲が望まれるのは、他の人間に對する力の表明としてであるが、自由な、筋の通つた、自負も持つた行爲である。

原文では、かうなつてゐます。

L'acte de chair n'y est désiré que comme une preuve de puissance sur un autre être, mais libre, raisonnable, fier.

中村雄二郎さんも小林訳と基本的に同じやうに訳してをられるので、自信はないのですが、libre 以下三つの形容詞が、acte ではなく être にかかると読めば、次のやうな訳も可能ではないでせうか。

恋愛にあつて、肉の行為が望まれるのは、他の人間に対する力の表明としてでしかない。しかも、それは自由で、分別があり、誇り高い(人間でなければならない)。

同じ段落に

僕は、戀人が聰明で近寄り難い人である事を望む、たとへ僕の戀人ではないとしても、好意を持ち、幸福さへ感じたい。

といふ文がありますが、「たとへ僕の戀人ではないとしても」の部分、原文では si ce n'est pour moi は、<私に対してでなければ(近寄り難い人である事を望む)>といふ読み方もできるやうな気がします。

第二段落で「記號」と訳されてゐるのは signe(s) といふ言葉です。中村雄二郎さんは「合図=徴し」と訳してをられます。知らぬ間に交換されるので「合図」では具合が悪いと思はれたのでせう。仕草や声の調子などが、本人が意識するか否かに係はらず、相手に信号を送つてゐることになる、といふのがアランの指してゐる状況です。

この段落に

豫言の吉凶を知る觀念に依つて、豫言の眞僞が試されるのである。

といふ文があります。これは、

予言が正しいかどうか知らうとする考へによつて、予言が実現される。

と意訳した方が、原文の意味に近くなると思ひます。

最後の段落に、

從つて女はいよいよ眞の感情を隱し勝ちになる、いつも肉の本能を感ずべき場合にいつも感ずるとは限らぬからだ。

と、あります。私はこれを読んで、『Xへの手紙』の一節を思ひ出しました。

女は男の唐突な欲望を理解しない、或は理解したくない(尤もこれは同じ事だが)。

で始まる箇所です。

この章は、意味が取りにくい部分が特に多いやうな気がしますが、次の文には、心から同感します。

美しい若い婦人に、判斷や德性の表れを見るのは樂しい事だ。

さうした経験をすることが少なくなつたと感じるのは、私が「をぢさん」になつたからでせうか。


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