アランは、第七部で儀式の話をして来たわけですが、この章では儀式の持つ負の側面に触れてゐます。
儀式のないところに狂信もない。
逆に言へば、儀式は狂信の元にもなるといふ主張です。儀式は秩序をもたらすが、秩序を保たうとする努力が狂信へとつながるといふのです。
この章の論の進め方は、分かりにくい部分もあるのですが、前の二段落では集団の狂信を、後半の二段落は個人の狂信について述べてゐるやうです。第三段落の途中に、やや唐突な感じで「愛する女を殺す」といふ話が出てきます。そこから最後まで、犯罪へと至る人間の心理を分析してゐるのだと、私は読みました。
女を殺すのに、はつきりとした理由があるわけではなく、憎悪が羞恥心や恐怖心と結びつき、なまじこれを抑へようとして、ますます情念の虜になる、といふのがアランの診断だと思はれます。
いつものやうに細かくなりますが、翻訳について気付いた点を付記します。まづ、第二段落の
逃げるのが群衆ならばしつかりした人でもじつとしては居られない、動機は明らかに生理的なものだ
といふ部分。ここは、大勢の人間に押されてはじつと立つてはゐられないといふことを述べてゐるので、<明白な物理的理由により>と訳した方が良いと思ひます。
同じ段落の後半、
人々がさういふ自分の武器を捨てて了ふ、例へ用心からでも捨てて了へば秩序の大きな 禍 ひだ。
といふ部分は、よく分からないのですが、<用心といふ武器さへも捨てて仕舞ふ>とも読めるやうな気がします。
なほ、原文では、最初の段落の二行分が、小さな段落として独立してをり、全体では五つの段落になつてゐます。
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