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『81章』のテキスト


  1. 執筆の経緯

    1916年7月19日の日付がある前書きで、アラン自身が述べてゐるとほりですが、アランは、1914年に始まった第1次世界大戦に、46歳で志願し、前線に赴きます。踝の事故で3ヶ月弱入院することとなり、そこで『81章』を書き始めるのです。アランの自伝『我が思索のあと』には、かうあります。

    一人の歩兵が、多分ドイツ語学士で、無線士が毎日入手する戦況広報を我々が訳すのを手伝つてゐた。彼が私の所に来て、有名な「我思ふ故に我あり」に似た文句で、ロックの標語であらうといふものを尋ねた。私は洒落で応へた。しかし彼は、本物の教科書で、誰にでも読めるものがあれば有益だらう、あなたにはそれを書く時間がある等と、しつこく言つた。この男はどうしてか分からないが姿を消し、我々の翻訳は酷いものになつた。しかし、私は教科書について考へ、試してみて、執筆は一直線に進むのが分かつた。丁度、病院に3ヶ月滞在することとなり、そこで私は幸せで、1日に1章を難なく書き上げ、書いた章を直ぐに郵送した。私には病院で書いた章を見分けることができないだらう。そこに何の特別な臭ひも感じない。しかし、「81章」の一つである「デカルト讃」が、前線に私を送り戻す輸送車両で、まさに戦火の中で書かれたのを知つてゐる。この章により、私は偉人を冷たく判断するやり方から解放された。この教科書は、まだ教科書風であり過ぎるが、まもなく出来上がり、できるだけ早い時期に、検閲に掛けないで出版された。検閲は我慢できなかつたであらうから。本は戦争中に出て、私は幾分かの金を得た。私は文筆家になつた。

    なほ、Bibliothèque de la Pléiade の Alain "Propos I" にある年譜では、1916年5月23日に踝の事故があり、8月17日まで病院にゐたとあり、他方で、『81章』の原稿は1916年の4月8日から8月1日に書かれたとあつて、「デカルト讃」を前線に戻る輸送車両で書いたといふアラン自身の記憶と齟齬があります。事実関係は、不明です。

    また、この年譜に依れば、3月11日時点の最初の題は「哲学的知識の基礎的概念」 "Idée élémentaire des connaissances philosophiques" であつたさうです。

  2. 初版と改版
    • 1917 初版 Émancipatrice 社から、検閲なしで。
    • ???? 新版 Camille Bloch 社から、内容は同じ。
    • 1941 改版 Gallimard 社から、"Éléments de Philosophie" と改題。14の章と多数の注を追加。

  3. このサイトの底本

    Gallimard 社の叢書 Bibliothèque de la Pléiade に収められてゐる Alain "Les Passions et la Sagesse" のテキストを元に翻訳してゐます。同書には、テキストは初版、新版によつたと書かれてゐます。ただ、小林秀雄MLでの柳沢さんからのご指摘により分かつたのですが、緒言 Introduction のテキストは、改版のものが使はれてゐます。改版では、初版の緒言に二つの段落が追加されてゐますが、この翻訳では、初版のテキストに従ふといふ考へ方で、その二段落は落としました。

  4. その他

    フランス語のテキストは、ケベック大学が主催するサイトで見ることが出来ます。出版年が1916年となつてはゐますが、載つてゐるのは改版の"Éléments de Philosophie" です。


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