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第12章 機械的な見方(機械論)

注釈へ

機械論は、全ての変化は動きだといふ、世界についての見方だ。例へば気体の圧力は、その粒子の激しい動きによつて説明される。光は、一種の振動だ。固体は、引きあふ原子の組みあがつたものだ。この世界中は機械的だといふ仮説では、原子、力、慣性についても理解する必要がある。と言ふのは、全ては関連してゐるからだ。悟性がここで、その法則を我々が表現するもの全てに押し付けてゐることは、疑ひがない。理解するにはかうするしかないし、さもないと何も理解できない。

だが、哲学者の大きな秘密は、どのやうな証明もそれ自身では成り立たたず、証明にはいつでも何等かの攻撃があり、鉄条網のやうに守つてばかりゐると、崩されるといふことだ。精神 esprit は、その証明の後ろにゐては弱い。その中で、いつでも押し出してゐないと。この全ては機械的だといふ見方は、それを理解するのに適当な例だ。なぜなら、ある懐疑論者や神秘論者が、我々の表現は物質的な有用性のためだけのものであり、それが何かを明らかにすることは全くない、それが何かを眼や手で感じることは出来ないのかも知れず、他の道で探り当てるか予知するしかないのではないか、さう考へたがるとすると、その攻撃に諸君はどう応へることができるだらうか。これは、哲学が無意味な好奇心ではなく、倫理学であることを知らせるには良い場所だ。

ルクレチウスは、原子論者と呼ばれる多くの人達、その中ではデモクリトスとエピクロスが最も有名だが、この人達の研究を勇気を持つて押し進め、この深い体系の核心を明るみに出した。さわぐ心、奇跡、預言者や神々に対抗して、ピンと張り詰めた意思だ。だが、囚人は逃げる途中で自殺してしまつた。驚くべきことだが、酔ひ、または憤り、あるいはまた、これはいつでも根強い情念の隠された原因なのだが、悟性に想像力を置き換へたことが、その理由だらう。弟子にはよく見られることだ。ルクレチウスは、諸物の構築者や偶像破壊者を、つまりは精神 esprit を全く忘れてゐる。精神は、深淵越しに、最初は単純な動きを投げ、試し、複雑にする。富を全て掴んで引き寄せ、その正確な台帳をつくる網のやうに。かれはそこで、機械論がもともと自由の証明であること、同時に、その手段であり道具であることを忘れてゐた。なぜなら、自然はこの驚くべき体系を受け入れるが、決してそれを自分から差し出すことはないのだから。

変化を運動で表現することは、確かに一つの予断である。さうだ。このころがる球といふ一番簡単な場合でも、見かけには、運動といふ仮説を押し付けるものは何も無い。そして、それを示すのは球でもない。球は、鋭いゼノンが気づいたやうに、一時には一つのところにしかゐないのだから。また、球がすぐに壊され、別の球が横に生まれるのだと想像することを、何物も妨げない。映画では、さうなつてゐて、走つてゐるのは同じ馬ではなく、銀幕の上で入れ替はる異なつた影像なのだ。ただ、運動が好まれ、選ばれるのだ。機械論も同様に好まれ、選ばれるのだ。簡単だからではないのは、確かだ。夢見ることが一番簡単なのだから。

さうではなく、自由を与へ、魔を払ふものとして、全ての魔術に対する精神の武器として選ばれるのだ。その選択を正しいとする自然の支へがあるのは、そのとほりだが、精神 esprit が機械論を据ゑ、保ち、組上げ、充分複雑にすることが無ければ、自然は応へはしない。怠け者の物理学者はその証明を見失ふ。そして子供の恐れ、偽の神々、どこにでもゐる諸霊へと落ち込んで、神と精神を忘れるのだ。と言ふよりむしろ、物質の中に精神を潜ませて、必然性を、あらゆる手段により目的へと進む不屈の意思へと変装させるのだ。運命といふのがその本当の名前だ。ここで我々は我々の敵を捕まへてゐる。真の物理学者は、逆に、自然の力から自由の見かけを全て取り去り、機械論を前にして、同時に彼の精神を開放する。

確かに、それぞれが自分の形を見出す、この樹の葉に対して精神 esprit を拒否するといふのは、困難で苦痛を伴ひさへする。何故なら、情念がそこに馳せ参じて戦ふからだ。この多様性は胚の中にある要素の形や配置に過ぎず、それが空気や光の中で、炭素の鍾乳石に、ここでは蔦の形、あちらではプラタナスの形を与へるので、それは濃縮された溶液の中で樹形の結晶が生まれるのと同じだ。さうだと知るよりもずつと前に、これを欲するのは難しい。逆に、横になつて眠ること、そして胚のなかに隠れてゐる見えない建築家が、その望みの計画を段々と実現するのだと想像することは容易い。それは霊媒や精霊の魔術に身を委ねる夢見る者達と同じだ。彼等は、我々は全てを知るわけではない、と言ひながら、際限の無い力や食卓に隠された諸霊を発明したりする。だが。精神は霊達に打ち勝たなければならない。ルクレチウスはそこで彼の魂を失つた。だが、デカルトは違ふ。そこに注意したまへ。


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