ホーム >  『81章』目次 >  第3部目次 >  第2章

第2章 会話について

注釈へ

誰でも知つてゐるやうに、気楽な会合での考へ(意見)の遣り取りは、さう呼べるとすればだが、あらかじめ知られてゐる言ひまはしにより行はれる。精神は、せいぜい変奏曲のやうに言葉で遊ぶだけで、驚き以外の喜びはない。私はそこに昔の儀式の跡を見る。そこで人は、印を確かめることで充分に幸せだつた。社会(世の間)の真の喜びとはさうしたものである。反抗する精神は、そこで不毛な戦ひしか齎さないだらう。激しい論戦は、人の不意を衝き、愚かにする。相手の土俵で議論について行かねばならないからだ。しかしまた、議論での勝ちが何等かの真理を打ち立てると信じるのは、子供だけだ。

うまく定義されてゐない形 formes については、想像力はすでにかなり強力である。一瞬人を驚かす幾何学の詭弁さへある。さういふことであれば、図形なしで言葉だけで議論したら、どんな馬鹿げたものでも言ひ表せないことはないし、どんなに理にかなつたことでも反論できないことはない。なぜなら言葉は真に従つてつながるのではなく、逆に、その源からよく分かるやうに、その意味を超えて心を動かす力を持ち、動物に証明するのだ。ただ何の証明だかは、分からないのだが。

闘ひの場をお喋りや、頭に来てゐるのや、法螺吹きに任せておけば良いといふわけではない。議論は乾いた正確な質問で、なんとかこの言葉の魔術を乱すのだが、この質問にも他人や自分に対する罠が一杯だ。疲れによつて全てが見かけの合意と、自分以外に対する非難に満ちた平和に終はることは、考へに入れないとすれば。ここで、重大な問題をかうした即興にゆだねることを望まなかつたカトリックの深い智慧を称へても良いだらう。

だが、ギリシャの 哲人たち、そしてプラトン自身も、説き伏せ、信を得るための術を追ひ求めてゐた。不朽の対話編の中には、多分求めてさうしたのだが、精神を無秩序に投げ込む言葉と言葉の議論と、読み返すと有益で力強い光を放つ美しい呼び掛けとの対比が見られる。だが、プラトンを読むためには、議論を超えてゐなければならない。ともかく、人間は、それも並ではない者でも、詰めた議論から多くを期待してゐる。そこでは「ふたつは同じことだ」とか、「あなたが矛盾してゐることを示してみせませう」といつた一撃が加へられるのだ。どれも学校のボカルドやバラリプトン(脚注 1)の類は卒業してゐる。だが、叡智の長い子供時代には、何と無駄な議論があることだらう。誤りの逆は必然的に真であるといふ魅力的な考へに拠つたもので、だとすれば、否定すれば証明したことになるわけだ。だが、宇宙は嗤つてゐる。

しかしながら、我々の角度や、合同や相似の三角形、円、楕円、放物線を嗤ふことはない。これらの物は弁証法により鍛へられた。人が語るものは、まづ言葉により定義され、それ以外のものであつてはならず、それから考へる者自身が、あらゆる反論をして、揺るぎ無い結論に至る。この数学的な弁証法の力は、考へる者を惑はして来た。代数のより抽象的な言葉が、少なくとも天文学、力学、物理学で、自然の秘密により近付いたと見えたときには、もつと心を迷はせた。この本は、この困難を完全に明らかにすることを目的にしてゐる。つまり、修辞学と呼ぶべき純粋な論理には何が可能か、また、なぜ数学にはずつと多くのことが可能か、である。

「鳩は、真空の中ではもつとうまく飛べると 思ふかもしれない」とカントは言つた。全く同様に、数学者は、彼の目の前、手元にある対象から残されたものを考へないで、言葉だけを使へば、もつと先まで考へられるだらうと思ふかもしれない。そこから、時には過大に評価され時には過度に軽蔑される、あの弁証法の遊びが生まれる。神学、心理学、魔術、と呼ばれるもので、真実を豊かに抱へてゐるが、さわぐ心を纏つてをり、その説得力は全て、うまくできた三段論法か反論の余地のない否定によるものだとされることが多い。

アリストテレスは、哲学者の中で一番議論をしない人だが、このプラトンの弟子が、議論の術を体系化しようといふ考へを抱いた。若い頃には多分強かつたのだらう。何世紀もの緻密な議論は、彼の形を整へられた可能な議論の驚くべき体系に大したものを加へなかつた。先入観なしに読めば、そこに論理学あるいは言葉の科学であり同時に理性の科学であるものを読み取らないで、言葉がそれだけで悟性に何を負つてゐるかを扱ふ真の修辞学を見出すだらう。だが、呼ぶのは好きに呼べば良い。これから幾つかの例で調べなければならないのは、一般的な文法としてであり、詳細や体系に就いては、論理学の教科書をどれでも見て貰へば足りる。その秘密を知れば、皆、良いものだ。


脚注
  1. ボカルド bocardo やバラリプトン baralipton は、アリストテレスの論理学において 妥当とされる推論形式を暗唱するために考案されたラテン語の詩の一部です。詳しくは、 このサイトをご覧下さい。

第1章 < 第2章 > 第3章

ホーム >  『81章』目次 >  第3部目次 >  第2章

Copyright (C) 2005-2006 吉原順之