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第2章 本能について

注釈へ

動物の本能で起きるのは物理学の問題だけだ。実のところ詳細はとても難しいのだが、原理はかなり簡単だ。動きの元となる筋肉だけを考へれば良く、栄養を得るとその中では言はば引き伸ばされた爆発が起き、その極一部は熱に、主な部分は運動に変る。この運動は紡錘形が丸い形に変る、収縮と呼ばれる変化である。この爆発的な分解の奥深い機構を知らなくても、熱と運動の形で見出されるエネルギーは貯へられた仕事を決して超えることはなく、化学者の目で見ると、栄養と、それで養はれる筋肉の要素により表されるものだ、と記述することが出来る。

この放出のきつかけは、外からの直接的な刺激や神経にそつて伝へられる電流や一連の化学反応の働きにある。動物をそれ自身の動力源だと考へれば、最も完成された生き物の場合、関節を持つた骨格が内側か外側にあり、その上に伸ばす筋肉と縮める筋肉がついてゐる。神経は動力源となる部分全ての間を、従属した中心点と脳と呼ばれる主となる中心点とにより、連絡する。詳細はかなり込み入つてゐる。この素描を補足するために、外界の弱い働きに他の部分よりも敏感な部分である感覚器を付け加へよう。

注意深く議論を進めることで、主となる中心点にゐて伝言を受け取り筋肉に命令を出す操縦士といふ考へを捨てれば、残るのはかなり複雑で極めて多様な運動ができる内燃機関である。これらの運動は関節付きの骨組、重力の働き、そして対抗する筋肉の強さにより制限される。この強さ自体は、直前の仕事、老廃物の排泄、補給される栄養に依存し、この補給は排泄と同様に各部分の動きにより活性化する。ある点での活性化はすぐには全ての部分に伝はらず、強さも同じではないことも言はねばならない。それは神経の経路に、そして恐らく伝達要素の直前の働きにも依存する。この点を忘れないやうにすれば、全ての刺激が全ての方向に千の道で広がると仮定するのは自然で、動物はいつでも体全体を固くして動くことになる。ダーウィンが示したやうに、最初の目覚めでまづ一番軽く、自由な部分、耳や尾が動くことからも分かるとほりだ。この最初の動きはその後に続くものの印である。

刺激された動物が、それで出鱈目な動きをするのではないのははつきりしてゐる。例へば馬は頭を下げることが出来ないと蹴り始めない。爆発は最も抵抗が少ない線に沿つて起こると言はう。それを決めるのは難しいのだが。ただ、動物の動きがその形態、その態度及びそれを取り巻く抵抗物に依存するとして置けば、問題が限定できることに注意したまへ。牡蠣は殆ど一つの運動しかしない。栗鼠は、言はば組み合はされた牡蠣で、ずつと多くの動きをする。蟻地獄は、二つの間で、その孔の底で頭を急に動かすだけだが、すでに狡猾な狩人のやうに見えて来る。重力が彼のために働いてゐるのだ。

人体の構造は猿や栗鼠のものとそれほど違はない。本能の反応は人の内でもその形態、力、態度さらには障害物に従つて生じる。だが人間は考へる。自分の身体とその動きを、わづかなものでも多少とも明確に感じ取る、といふ意味だ。この動きや客体の働きにより生じる快や苦痛は考慮に入れないとしても。我々の最初の考へとはかういつたもので、私達がいつでも持つてゐる考へだ。この驚き、震へ、生命の動きは我々の探究の全てについて来て、一瞬ごとに我々をそこから遠ざけ、宇宙全体が我々に戻つてくるかのやうで、ついには我々の動き、驚き、震へが一緒になつて感じられるものと宇宙の区別がつかなくなる。かうして嵐は、始めは外の眺めであるが、次には戸口を脅かし、我々のうちの嵐となつてしまふ。だが筋肉の嵐に過ぎず、震へ、恐れ、無暗な逃走、墜落、手の努力、咳、嘔吐、叫びだ。心をさわがせない証人には、この人間は先に述べたやうに動く動物機械に過ぎない。

この意味で本能的な思考 pensée といふものがある。もつとうまく言へば、再び本能の方へと落ちて行く思考であり、そこから抜け出し、また落ちて、あるいはそこで休み、あるいはそこに身を投げる。我々はここでさわぐ心に触れてゐる。これについては、この見方に従つて、後でたつぷり述べる。ここではどんな時でも栄養、呼吸、排泄、即座の脱出を確保する機械的な働きをおほまかに描けば足りる。これを通して我々が世界と身体の仕組みを考へるやうになるのは、見たとほりだが、いつでも黄昏時の混沌に落ち込まないといふのではない。全てのものが混同され何の記憶も残らない錯乱あるいは睡眠まで行く。これに従つて戯れに動物の思考といふ一種の神話を発明することを妨げるものはない。だが戯れに過ぎない。それは感情とさわぐ心の遥か下方に閉ぢ込めなければならないだらうから。判断と幾何学による秩序だけが無秩序を浮かび上がらせる。それに考へる者のゐない考へとは何なのだらう。


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