『感想』をたどる(36~40)

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第三十六章

第三十六章では、『物質と記憶』の鍵となる概念「イマージュ」が取り上げられてゐます。本文からの直接の引用は殆ど見当たらず、「第七版序」の文章が中心となつてゐますが、それも短いもので、引用に頼るのではなく、自らの言葉で語らうといふ姿勢が見えます。

第二段落に、かうあります。

「第七版序」を見ても、この本に關する讀者の根本的な誤解が、第一章から生じてはゐないか、と著者は考へてゐるやうに思はれる。

その、第一章でベルクソンはイマージュを論じてゐるのです。

小林秀雄も引用してゐるシュヴァリエとの談話には、ベルクソンが、『物質と記憶』の一つの章を、早く出し過ぎたために、他の部分と切り離されて読まれ、誤解されたので後悔してゐる、と述べてゐる部分がありますが("Entretiens avec Bergson", 24 mars 1930)、これは、この第一章を指した言葉でせう。

同じ段落に、「彼は、第一章で、自分の仕事の出發點を粗描したのだが、」といふ一節があります。これは、論理的な順序を述べたものとしては正しい指摘ですが、『物質と記憶』の当初の序を読むと、ベルクソンの考へが展開された順序は別だつたことが分かります。以下に引くのは、この序の最初の部分です。

私たちの仕事の出発点は、本書の第三章に出てくる分析であった。私たちはこの章で、記憶という適切な例にもとづいて、精神の同一の現象が、夢想と行動とのすべての中間段階をあらわす種々異なった意識の平面に、同時にかかわりをもつことを明らかにする。身体が関与するのは、これらの平面のうちの最終のものにおいてであり、また最終のものにおいてだけである。

しかし精神生活における身体の役割をこのようにとらえると、あるいは科学的、あるいは形而上学的なすこぶる多くの困難が生ずるように思われた。こんどは、これらの困難を分析することから、本書の残りの部分が生まれたのである。

じっさい、私たちは、一方では、記憶力を脳の機能としか見ない学説を検討して、そのため、大脳官能の局在性にかんするきわめて特殊な若干の事実を、できるだけくわしく解釈しなければならなかった。こうしたことが、部分的に、本書の第二章の目的をなしている。しかし他方、私たちは、心の活動とその物質的開花との間に、かくも截然とした区別を設けたので、あらゆる二元論が惹起する種々な異議申し立てに、かつてない激しさで直面しなければならなかった。そこで、どうしても私たちは、身体の観念の根本的検討を企て、物質にかんする実在論と観念論の理論を対面させて、両者の共通の要請をとり出し、結局は、すべての要請をとり除くことで、身体と精神の区別をいっそう明らかに認めつつ、しかも同時にその結合の機構にいっそう深く立ち入って見ることができないかどうかを、追究せねばならなかったのである。

(田島節夫訳、白水社版、287~8頁)

三番目の段落の後半で、「そこで、どうしても私たちは、」以下に書かれてゐるのが、『物質と記憶』の第一章においてベルクソンが行つた作業です。

本文に戻つて、第三段落の後半に、私には理解が困難な部分があります。

單に、物がさう見えてゐるのと物をどう呼ぶかとは違ふ。物のイマージュは、物の表象ではない。物の表象を得ようとする動きは、直接に經驗されてゐる物を意識的知覺に化さうとする動きであり、爲に、普通、意識的知覺は、記憶の要素や感情の要素の混入によつて、複雜に構成されたものとして現れてゐる。表象は、この構成作用に由來するもので、これは、有效に行動するといふ實用的目的を持つ。この目的によつて、生きた豐かなイマージュは、その何物かを失ひ、固定され、組織されるわけで、それが表象能力としての知性の役割である。知性は、物のイマージュを、私達に與へる事は出來ない、物の表象を與へるだけだ。從つて、ベルグソンの言ふイマージュとは、かくかくと知覺される、或は知覺され得る限り、事物自體の直接經驗を暗示するものであり、事物のどんな説明でもない。

ここでは、イマージュと表象とは別ものであり、表象は知性の作用だといふことが述べられてゐます。「表象」は、"représentation" の訳だと思はれますが、さうだとすると、ここに書かれてゐるやうな記述は、ベルクソンの文章には見当たりません。小林秀雄の言ふ「表象」は、知性による概念的な表現を意味してゐるやうにも読めるのですが、ベルクソンは、表象といふ言葉を、例へば次のやうに、これとは全く異なる意味で使つてゐます。

物質的世界とよばれるこのイマージュの体系を考えよう。私の身体はそれらのうちのひとつである。このイマージュをめぐって表象、すなわち他のイマージュへのその起こりうべき影響が配列される。
(田島節夫訳、白水社版、66頁)
反対に、もし表象そのもの、すなわち知覚されるイマージュの全体から出発するならば、事態はおのずから明らかになる。私の知覚は、純粋な状態で、私の記憶から切りはなされている場合には、私の身体から他の物体へと進むのではない。それはまず諸物体の総体の中にあり、ついで徐々に自己を限定して、私の身体を中心にえらびとるのだ。
(同、71頁)

同じ段落にある「私達は、物の中で物を知覺し、知覺された物は、私達の中に現前してゐる。」といふ文の「私達の中に」といふ句もさうですが、この章を読む限りで言へば、小林秀雄の用語法は、必ずしも厳密ではない、といふ気がします。


第三十七章

第三十七章で小林秀雄は、ベルクソンが1895年に行つた常識についての講演(*1)を引きながら、常識と哲学との関係について述べてゐます。

ここで「常識」と訳されてゐるのは、講演の題にもなつてゐる bon sens といふフランス語です。他方で、『物質と記憶』に出てくる「常識」は、sens commun です。フランス語の辞書では、両者の意味は、次のやうに説明されてゐます。

前者については、「良識」と訳されることもありますが、小林秀雄は、1964年の『常識について』の中で、かう述べてゐます。

良識とか善識とかいふ言葉があります。フランス語のボン・サンスの譯語だが、これは、極く新しいもので、恐らく昭和に這入つてからの新語でせう。いづれにしても、日本語として、未だ熟してはゐないし、これから熟しさうもない。常識といふ言葉があれば、事は足りるからです。コンモン・センスに見合ふフランス語は、サンス・コマンだが、ボン・サンスの意味合ひは、これとはつきり區別する事はむつかしいやうです。
(第五次全集、第十三巻、81頁)

小林秀雄が、bon sens と sens commun を、どちらも「常識」と訳してゐるのは、かうした理由からでせう。

第三段落に「ベルクソンが、常識を私達には極く自然な一種の無知と呼ぶ理由も其處にある。」といふ文があります。文脈からして、これもベルクソンの常識についての講演にある言葉だと思はれるのですが、「私達には極く自然な一種の無知」にぴつたりと合ふ部分は見つけることができませんでした。無知 ignorance といふ言葉が出てくるのは、次の一節だけなので、この部分を念頭に置いてゐたのかも知れません。("Mélanges" では、362頁。拙訳を付しました。)

Et pour tout dire, il paraît avoir moins de rapport avec une science superficiellement encyclopédique qu'avec une ignorance consciente d'elle-même, accompagnée du courage d'apprendre.

要するに、常識は、表面的には百科事典のやうな博識よりも、自らの無知を意識して学ぶ勇気を忘れない無知と、近い関係にあるやうです。

この「極く自然な一種の無知」といふ表現は、第六段落にも出て来ます。

してみると、ベルグソンが、常識を、極く自然な私達の一種の無知と言ふ時、彼は、私達が餘儀なくされてゐる一種の無私を、又思つてゐたと考へてもいゝやうである。

第七段落に、次の文があります。

のみならず、社會が私達に要請してゐるものの本質が何であらうと、自己は、常識と呼ばれる有效な行動の方向に向ふ努力を餘儀なくされてゐる。この姿全體に、直觀的な照明を與へることは極端に難しい。ベルグソンは、この難しさは、殆ど苦痛に似てゐる、と言つてゐるが、彼は、何も哲學的直觀といふものを特に假定したいのではないので、自己のけてゐるこの強い惰性に逆行する苦痛を、率直に言ふに過ぎない。

ここに出てくる「この難しさは、殆ど苦痛に似てゐる」といふ言葉も、小林秀雄が、どの文章を念頭に置いてゐるのか、分かり難いものです。ベルクソンが、これと同じ言葉を使つてゐるのは、調べた限りでは、『思想と動くもの』の「序論 II」なのですが、そこでは、従来の哲学が設定した枠組みから外に出て、常識によく似た立場から物を見直すことの難しさを語つてゐるので、上の引用部分とは、指すものが違つてゐます。

この章での常識と哲学との関係についての議論は、一読しただけでは良く分からない、複雑な説き方になつてゐます。小林秀雄の関心は、『物質と記憶』についての理解を深めることにあり、上記の講演だけではなく、『思想と動くもの』の「哲学的直観」なども含めて、ベルクソンの言ふ常識を幅広く捉へようとしてゐるやうにも見えます。議論が複雑になつてゐるのは、そのためかも知れません。

上記の講演だけに絞れば、ベルクソンの考へ方は、かなり明快なもので、常識と哲学とは、その働き方は良く似てをり、(ベルクソンは、かういふ言ひ方はしてゐませんが)言はば、共通の源を持つもので、両者の違ひは、常識が実用の世界で働くのに対し、哲学は思弁の世界で働くといふ点にある、と纏められるのではないでせうか。(Mélanges では、369頁の末から370頁にかけてをご参照ください。)


第三十八章

第三十八章では、『生命のエネルギー』に収められてゐる「魂と身体」、「生者の幻と心霊研究」の二つの文章が取り上げられてゐます。それぞれ、1912年と1913年に行はれた講演を元にした文章です。最初の九つの段落は「魂と身体」から、最後の二段落は「生者の幻と心霊研究」から、引用しながら書かれてゐます。

第三十五章のところで述べたやうに、「魂と身体」は、ベルクソン自身が、『物質と記憶』を読む前に、同書の第七版の前書きとともに眼を通すことを勧めてゐる文章です。

小林秀雄の引用は、「魂と身体」の最初の三分の一からなされてゐますが、その後のところで、ベルクソンは、科学の主張する脳と精神の並行関係に替はる説として、脳の観察により知ることができるのは、精神の全てではなく、そのうちのしぐさや態度、身体の動きとして表現できる部分であり、完成途上の、あるいは生まれつつある運動に係る部分に過ぎない、といふ考へ方を提示してゐます。

ベルクソン自身が認めてゐるやうに、この意見は暫定的なもので、蓋然性の高さを主張するに過ぎませんが、当時の科学で知り得た事実から導き出されたものであり、事実に関する知識が増すにつれて、より精密になり得るものだ、といふ点が重要です。

書簡集に収められたシュヴァリエへの手紙を読むと、ベルクソンが、あくまで事実から出発するといふ点を、自らの哲学の基盤であると考へてゐたことが分かります。1926年3月2日付の手紙で、シュヴァリエの著作で修正すべき点を列挙しながら、次のやうに言つてゐるのです。

読者には、私(ベルクソン)が、霊に関するある種の真実を探してをり、かうした真実の存在をアプリオリに前提としてゐる、いづれにせよさうした真実を発見しようと躍起になつてゐる、そして、これらの様々な文章の断片に収められてゐる主張は、その探究の道程だ、といふ印象が生まれます。これは、自分が得た結論が持つてゐると、その当否はともかく、私が考へてゐる、特別な確実性を、損ふおそれがあります。これらの結論が説得力を持つとすれば、それは、まさに、この種の意図や躍起のないところで、それとは完全に無関係だと見られてゐた、あるいは、科学を全く別の方向に進めてゐた実証的な研究を契機として得られた結論であるからなのです。
(Correspondances, p.1184)

ただ、科学は客観的だと言はれてはゐるが、それが捉へる事実は、変化を続ける世界を、決められた運動を続ける構築物として見たものであり、一面的なものだと言へるでせう。科学で世の中の全てが分かるといふ考へ方には、かうした反省が欠けてゐるのではないか。最後の段落で、小林秀雄は次のやうに纏めてゐます。

精神界の出來事が、まさしく測定を拒んでゐるやうに、私達の平常心に經驗されてゐるのなら、私達の常識は、率直に測定を捨て、經驗的事實の具體性に着く。測定の方法に陷没してゐて、このやうな事實を再考してみる餘地はない。公平にあらゆる經驗的事實から出發してゐると信じながら、實は、好みの事實から出發してゐるに過ぎないのではあるまいか、さういふ根柢的な疑ひが起る餘地はない。

量子力学や最近の宇宙論では、自然科学もニュートン力学のやうな決定論を脱してゐるといふ見方もできるでせう。他方で、生物学や心理学においても、相変はらず要素還元的な議論が幅を利かせてゐるといふ事情も見受けられます。ベルクソンの考へと量子論や相対性理論などの現代物理学との関係については、第四十九章以降で論じられます。


第三十九章

第三十九章とこれに続く章で、小林秀雄は、『物質と記憶』第一章の内容を、引用ではなく、自らの言葉で整理してゐます。『感想』で、『物質と記憶』が扱はれてゐる章を見ると、第十七章から第二十六章までと、第三十九章から第四十九章まで、といふ大きな二つの塊があり、第五十四、五十五、五十六の三章が、締めくくる形になつてゐます。また、二つの塊は、いづれも『物質と記憶』の第一章から順に説き進めてゐて、最初の塊では第三章まで、次の塊では第四章まで進んでゐます。(『感想』のベルクソン引用 主として引用されてゐる作品の表を参照)

大まかに言ふと、最初の群では、『物質と記憶』の文章を、高橋里美訳による岩波文庫版も参照しながら、丁寧に辿つてゐるのに対し、第二の群では、小林秀雄自身の言葉で、ベルクソンの主張を纏めながら示してゐると言へるでせう。

小林秀雄が岩波文庫版の『物質と記憶』を、何度も読み返したことは、ボロボロになつた本の写真とともによく知られてゐますが、『感想』の文章の中でも、それが窺へる部分が、最初の群には幾つか見られます。例を挙げると、

"image"を例へば「形像」と譯してみても始まるまい。
(第十七章、141頁)

といふ文がありますが、高橋里美訳では、この「形像」といふ言葉が使はれてゐるのです。

また、第十九章(154頁)には、次の一節があります。

だから、彼は、自分は、知覺を問題にする際に、こと更に假説を立てず誰にも看過出來ぬ事實を式述しようと努めるだけだ、と繰返し強調するのである。

ここに見られる「式述」といふ言葉ですが、普通の辞書では見つけられません。調べた上で申し上げるのではありませんが、小林秀雄も、『感想』以外では使つてゐないのではないでせうか。私は、最初、誤植ではないかと思つたのですが、高橋里美訳では何度も登場します。formuler や énoncer などの訳語として使はれてをり、「言ひ表す」、「述べる」といふ意味のやうです。

岩波文庫版の高橋訳は、大正三年(1914年)の翻訳を、「文學士服部紀君の助力」により、修正して昭和十一年(1936年)に出し直したもので、文語的な表現の多い古い文体で書かれてゐます。例へば、上に引用した「式述」の登場する部分は、次のとほりです。

蓋しこのことは決して假説ではないのである。吾々はたゞ如何なる近くの理説も看過することができぬ事實を式述するに止る。
(岩波文庫版『物質と記憶』52頁)

他方で、ベルクソンに関する小林秀雄の意見は、第二群の章において、より多く見られます。第三十九章では、例へば、次のやうな部分が挙げられるでせう。

この根柢的な意識の吟味を避けて通るやうな認識論を、ベルグソンは少しも信用しなかつたし、認識論は、生命の理論と離す事が出來ぬといふ彼の確信も、この平凡な意識經驗の綿密な吟味の必然の歸結であつた。
(第二段落末)
全く臆説を交へないといふ點で、これらは科學の假説ではあつたが、又、ベルグソンには、それは、私とか物とかいふ言葉が發生する場所まで行つたといふ意味があり、彼は自然の沈默に行きつき、そこで、理解して沈默したと言つてもいゝ。
(第四段落)

第四十章

前の章に続いて、『物質と記憶』第一章の内容を、自分の言葉で説明してゐます。ところどころにベルクソンの原文と同じ言ひ回しも出てきますが、断片的で、特定の部分をそのまま引用してゐるといふ部分は、殆どありません。唯一、少し長い文章が、ほぼベルクソンの文章に沿ふ形で書かれてゐるのは、末尾に近い次の部分でせう。

實際、外的知覺を説明しようと思ふどんな心理學者でも、先づ、少くとも外界は存在し得ると考へなければ、どうにもなるものではあるまい。それは結局、一切の事物の潛在的知覺を假定してゐなければ仕事は始まらぬといふ事だ。これをはつきり頭に入れて置かないで、仕事にかゝるから、假定した一切の物のうちから、身體といふ物を選び、その中に、腦膸といふ物を選び、こゝに知覺中樞があり、こゝに外界からの刺戟が到達すると考へるや、忽ち最初の假定を忘れ、外界との共通點を紛失した純粹知識としての物の表象を考へ出す。

木田元さんの『現象学』に、次のやうな一節があります。引用されてゐるのは、メルロ=ポンティの言葉ですが、上に引いた部分と、全く同じ主張だと言へるでせう。

われわれが知覚によって生きているこの世界、これこそが科学による客体的世界の構成の出発点でもあればその不断の足場なのでもある。「われわれはもはや、知覚とは端緒における科学だとは言わないで、逆に、古典科学とはおのれの起源を忘れて自らを完結したものと思い込んでいる知覚のことだと言おう。」だからこそ、この起源に立ちもどって、客体的世界の権利と限界とを見きわめる必要があるのである。
(岩波新書、140~1頁)

また、第二段落にある以下の部分も、同じ事を述べてゐると思はれます。

ベルグソンが、知覺を、大腦内の或る過程の産物とする、當時の支配的な思想に、眞つ向から反對したのも、それが、知覺に關する生きた經驗を寸斷して殺し、それにも氣附かぬところに基くと見たからだ。知覺經驗に即して見れば、大腦内の或る過程とは、知覺作用のほんのさゝやかな一部に過ぎない。知覺を説明しようとして、特にこれを取り上げる事は、これを知覺作用全體と等價なものとする事だ。大腦も、外界の他の樣々な物と同樣に一つの物であるとは、常識には解り切つた事だ。

ちなみに、メルロ=ポンティとベルクソンの関係について、木田さんは、かう書いてをられます。

『行動の構造』以前のかれ(*)の思想形成の過程は、フッサールやハイデガーの著作を読んだという以外、われわれにはほとんど知られていない。ただ、おそらくは現象学の研究に先立って、ベルクソンの影響を強く受けていたことは推測しうる。いったいに、ベルクソン哲学が現象学のフランスへの移植の土壌を準備した、ということは注意されてよさそうである。フランス人の手になるあるフランス哲学の解説書に、「ベルクソンはドイツ人がフッサールからハイデガーへ移ることを準備させ、フッサールはフランス人がベルクソンからサルトルへ移ることを可能にした」と書いてあったが、この時代にベルクソン哲学が果した役割は十分に評価されねばならない。メルロ=ポンティも、かれが繰りかえしてなしたベルクソン批判にもかかわらず、現象学者であると同じくらいベルクソニアンであったと見るべきであろう。
(同125~6頁)
(*)メルロ=ポンティを指す

ベルクソンやメルロ=ポンティのやうな物の見方は、極めて説得的だと思はれるのですが、今日でも、科学の世界では、相変はらず、脳の働きだけで知覚を説明できる、といつた類の議論が行はれてゐます。バインディング問題のやうな「難問」が出てくるのも、科学が、自らが暗黙のうちに前提としてゐるものを、十分に反省してゐないためではないでせうか。

哲学の側でも、もつと分かりやすい言葉を使ひ、科学との対話を進める姿勢が必要でせう。ベルクソンは、まさに、それを目指した哲学者でした。


《脚注》

  1. 白水社版『ベルグソン全集』第8巻「小論集1」収録の「良識と古典学習」
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