『感想』をたどる(31~35)

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第三十一章

第三十一章では、前章に続いて、「現在の思ひ出と誤つた再認」の文章が辿られます。仏文の著作集 Œuvres では921頁から、宇波彰氏訳のレグルス文庫版では163頁から、この論文の末尾までの部分です。

小林秀雄が、そのまま辿りたくなる気持ちになるのも分かるやうな気がするほど、ベルクソンの文章は説得的だと思はれます。「現在の思ひ出」などといふ、一見極めて逆説的な表現を用ゐながらも、それが、「僞物の再認」を的確に説明するものであることを、納得させるのです。

第二段落では、通常の再認作用が、「現在の知覺に伴ふなじみの感情」と「現在の知覺が繰返すやうに思はれる過去の知覺の喚起」といふ二つの形で行はれることが指摘され、「僞物の再認」が、そのいづれとも異なるものであることが述べられてゐます。最近の心理学の言葉で言へば、前者は手続的記憶、後者はエピソード記憶に当たるでせう。

この段落に、「やはり私は、私の机や、私の本を、言はば、この思ひ出の席をはづしてもらふ風に再認する。」といふ一節があります。「この思ひ出の席をはづしてもらふ風に」といふ部分は、原文に対応する部分が見つかりません。レグルス文庫版の訳も、必ずしも原文には忠実ではないやうです。ご参考までに、以下に原文と拙訳をお示しします。

S'ils évoquent le souvenir précis d'un incident auquel ils ont été mêlés, je les reconnais encore comme y ayant pris part, mais cette reconnaissance se surajoute à la première et s'en distingue profondément, comme le personnel se distingue de l'impersonnel.
(Œuvres p. 922)
これら(私の仕事部屋、机、本を指す)により、これらが関係したある出来事の明確な思ひ出が呼び起こされることもあるが、私はこれらを、その出来事に係つたものとして再認することもある。しかし、この再認は最初の思ひ出に重なつて出てくるもので、個人的なものと個人には係はらないものとが異なるやうに、これとは根本的に異なる。

「人々は、私達の現在とは、何はともあれ、私達の未來の豫見であるといふことに、十分注意を拂つてゐない。」で始まる第七段落に、次の文があります。

この飛躍が、すべての心理状態に、その個別的な姿を一またぎに通過する事を許してゐる。まことに、これはいつも變らぬ事實であつて、私達は、この個別的な姿が留守だといふ事に實によく氣附いてゐる。不斷なじみなものの出席より、姿が見えもしないものの缺席の方をよく承知してゐる程だ。

この部分に相当する原文は、かうです。

Cet élan donne à tous les états psychologiques qu'il fait traverser ou enjamber un aspect particulier, mais si constant que nous nous apercevons de son absence, quand il manque, bien plus que de sa présence, à laquelle nous sommes accoutumés.
(Œuvres p. 927)

レグルス文庫版では、次のやうに訳されてゐますが、この方が、原文の意味に近いのではないでせうか。「特別な側面」といふのは、「独特な姿」とでも訳した方がよいといふ気はしますが。

この飛躍は、それが横断したり越えていくすべての心理状態にひとつの特別な側面を与える。しかしこの特別な側面はあまりにも恒常的なので、われわれが慣れてしまっているその存在よりも、それが欠けている不在をわれわれは認めることになる。
(『精神のエネルギー』レグルス文庫版171頁)

次に出てくる、「日頃なじんでゐる言葉が、これに注意を固定すると、忽ち異様な性質を帶びて來る」といふ例は、「飛躍」(élan)の力で意味を考へながら読んでゐるときの言葉が、われわれが慣れてゐる恒常的な姿であり、注意を固定すると、それが欠けてしまひ、異様な性質といふ形でわれわれがそれに気づく、といふ具合に対応するのではないかと思はれます。

「「僞物の再認」に見舞はれた殆どすべての患者は、」で始まる第八段落に、Jacques Chevalier の"Entretiens avec Bergson"の一節が引用されてゐます。「自分は常に不屈不撓ふたう經驗派アンピリストであつた」といふベルクソンの言葉です。これは1938年3月2日の対話で、ベルクソンが、シュヴァリエの質問に応へて、自分が如何にして神を見出したか、あるいは、如何にして神に見出されたかを語つた部分に出てきます。

このシュヴァリエの本は、ベルクソンを語るのに欠かせない本といふべきでせうが、1959年に出てゐます。『感想』第三十一章が「文藝春秋」に掲載されたのは、やりみずさん作成の年譜によれば、1961年の2月です。小林秀雄がこの本を読んだのは、この章が書かれる少し前だつたのではないでせうか。

引用された文が含まれる段落は、次のやうになつてゐます。ご参考までに、拙訳とともに載せておきます。

Pour moi, j'ai toujours été un empiriste irréductible. Seulement, je prends l'expérience tout entière : l'expérience extérieure d'abord -- l'expérience interne ensuite, telle qu'elle se produit chez tout le monde -- et enfin telle qu'elle se rencontre chez quelques âmes qui apparaissent comme des âmes privilégiées, dès ici-bas admises à l'au-delà.
(Jacques Chevalier "Entretiens avec Bergson" p. 279)
私はと言へば、常に不屈の経験主義者でした。ただ、私は、経験の全体を捉へるのです。先づ、外的な経験。次に、全ての人に生ずるやうな内的な経験。そして、最後に、特権的な魂として現れ、既に地上において天上に入ることを許された何人かの魂において見られる内的経験です。

第三十二章

第二十八章から続いた「現在の思ひ出と誤つた再認」の話が前章で終はり、第三十二章では、ベルクソンの文章に密着する述べ方から少し離れて、複数の著作に言及しながら、ベルクソンの方法といふものの性格を論じてゐます。

最初の二つの段落では、『意識の直接與件論』の英訳に付されたプロティノスの著作集『エンネアデス』第三巻八章四節の言葉を取り上げ、次のやうに書いてゐます。

こゝで言ひたいのは、次のやうな事だ。「理解して默つてゐるべきであつた」とは、彼の全著作の巻頭に隱されてゐたと言つてもいゝ、と。
同じ段落に、次の一節があります。
プロチノスは、ベルグソンが、早くから敬愛してゐた哲學者であつた。コレージュ・ド・フランスに於ける「プロチノス講義」がなされたのは、「物質と記憶」が書かれた直後である(一八九七-九八)。彼が、彼の「デュレ」を確信して、最初の仕事を始めた時、「エンネアド」の「ロゴス」を想つてゐたと想像することも出來るであらう。

小林秀雄が、「エンネアド」の「ロゴス」について、どのやうに学んだのかは不明ですが、ベルクソン自身が、イギリスとスペインで行つた講演で、これについて語つてゐます。イギリスの方は、1914年4月から5月にエジンバラ大学で行つた 《The Problem of Personalities》 と題された連続講演 (Mélanges, p.1051-)、スペインの方は、マドリッドでの1916年5月6日の講演です(同、p.1215-)。両者は、よく似た内容となつてゐますが、前者に従つてベルクソンがプロティノスのロゴスをどのやうなものと見てゐたかを、脚注にまとめましたので、ご参照ください。

第三段落は『思想と動くもの』の「序論II」からの引用で、これに続く段落の冒頭に、以下の文があります。

これで明らかなやうに、ベルグソンは、最も確實と信じられる自身の經驗を擴大しようと努めただけだ。悟性による論理を擴大するには努力は要らない。それは努力といふよりむしろ注意力の問題である。だが、経験を擴大するのには、その都度、精神の緊張と集中とを新たにしなければならない。

これを読むと、『樣々なる意匠』の次の一節が思ひ出されるのですが、皆さんは如何でせうか。

「自分の嗜好に從つて人を評するのは容易な事だ」と、人は言ふ。然し、尺度に從つて人を評する事も等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し、常に潑剌たる尺度を持つといふ事だけが容易ではないのである。
(第五次全集第一巻134頁)

自分に直接与へられてゐるものから、すなはち自分の経験から出発するといふのは、ベルクソンと小林秀雄に共通の方法だつたと言へるでせう。

第六段落から第九段落では、『意識の直接與件論』に話が戻り、この著作に見られるベルクソンの方法の特徴について見解を述べてゐます。重要だと思はれる部分を、いくつか引いて置きます。

何故私達は自由であるか、と質問するのは空しい、と證明するのは、彼には容易な仕事ではなかつた。だが、さう證明し、默つてゐるのは、もつと難しい事であつた。彼が誰よりも深くさう信じてゐた事は、彼の以降の全勞作が證してゐるやうに思はれる。
この手續きなしに精神を緊張させて、物を見れば足りた思想家の眼には、自由が形而上學的問題であると同時に心理學的問題であるといふやうな事より、自由の經驗は一つであるといふ事の方が、遥かに重要と見えてゐた。
自由は事實だ、といふ證明から、讀者は何か新しいものが得られたか。自由に關するどんな知識が増したのか。自由といふ解り切つた事實に、今更のやうに驚くのは、讀者には難しい事であつた。何故なら、それは自由を經驗して沈默してゐる事に他ならなかつたからである。

この部分には、繰り返し「沈黙」といふ言葉が出て来ます。これは、単に「言葉による解決を放棄した」といふことではなく、『感想』の最初の章に登場する、ソクラテスのダイモンの沈黙や、ベルクソン自身の「最後の本を出してから十年近く」の沈黙とも繋がるものではないかといふ気がします。「沈黙」といふ言葉は、『感想』のキーワードの一つかも知れません。

最後の段落の冒頭に、

敢へて、言へば、彼の書いた方法論はすべて、彼の作を讀んだ大多數の讀者の當惑の産物である。

とあります。「敢へて、言へば」といふ制限付きではありますが、かうした断定ができるのかどうか、私には良く分からないのですが、

彼の第二作、「物質と記憶」も、亦何の前置きもなく書かれたが

とあるのは、文字どほりに理解すれば、誤りだといふべきでせう。『物質と記憶』には、最初から序文がありました。そこでベルクソンは、この著作の出発点が、第三章にあつたことなどを述べてゐます。白水社版の翻訳では訳注に、ちくま学芸文庫版の翻訳では、本文の後、第七版の序文の前に、この初版の序文がついてゐますので、ご参照ください。


第三十三章

第三十三章では、前章に引き続き、『意識の直接與件論』が取り上げられます。引用は、第二章の「真の持続」、「自我の二つの様相」の二節、第三章の「物理的決定論」、「心理的決定論」、「自由行為」の各節、及び、末尾の「結論」からですが、それらが元の順序とは無関係に、自在に引用されてゐます。この著作におけるベルクソンの主張を、一度本文を消化した上で、自らの言葉で再整理したものだと言へるでせう。

冒頭では、「近代人にとつての自由の問題は、古代人にとつてのエレア派の詭辯と同じものだつた」といふ結論を引き、かう述べてゐます。

結論は、プロローグに戻るだらう。何故、私達は運動するのか、何故、私達は自由なのか、と自然に訊ねてはいけなかつた。口を利く習慣を持たぬ自然に、無理に口を割らせようとしたが無駄であつた。自然は、かういふ不遠慮な不注意な問ひには、決して口を割りはしなかつた。

前の章でも引用されたプロティノスの言葉を、少し変へて、再び持ち出してゐるのですが、この言葉を英訳本に付したのが、「著者の同意によつたもの」であることは、英訳者の F. L. Pogson が訳者序文で述べてゐますので、確かでせうが、小林秀雄のやうに「二十年前の著作に、同じ題辭を冠せても差支へなかつたと考へた」とまで言へるのかどうか、私には分かりません。Pogson 自身は、この言葉が、ベルクソンの哲学体系を一言で表すとは言へないものの、その精神の一部を推察させるものだと考へてゐたやうですが。

ただ、ベルクソン自身が、言葉の扱ひについて、非常に注意深い態度を取つてゐた事は、様々な文章からはつきりと読み取ることができます。そして、誤解を避けるためには、沈黙も辞さなかつたことも。

さうしたベルクソンの考へ方を示した手紙を、先日、偶々読みましたので、ご紹介します。(1909年7月24日付、G. Prezzolini 宛)。この中でベルクソンは、純粋哲学の問題についての公開の論争には反対であるといふ立場を示し、熟考の後に出された本については、反対意見がある者が、自らの著作等で、その理由を示せば議論は終りで、後は人々が自分自身の意見を決めるだけだ、と述べてゐます。それ以上の議論は、真実を損なふ恐れがあるといふのです。考へをより正確に、明確にするのは、言葉の上の人工的な努力によるのではなく、経験と自然な成熟によるべきだ、といふのが、その理由です。

従つて、ベルクソンは、自分の批判者が、大きな誤りや誤解をしてゐて、それが広まる恐れがある場合以外は、反論をしなかつたし、さうした場合にさへ、何も応へなかつたことも一度ならずある、と書いてゐます。

ところで、このベルクソンの手紙は、実は、彼の手紙を公開したいと言つて来た Prezzolini に対する断わりの手紙なのです。彼の遺志に反して出された書簡集をもとに彼の考へを云々するのは、ベルクソンが最も嫌つた事には違ひないのですが、あくまで著作をよりよく理解するための手立てといふことで、ご勘弁いただきませう。


第三十四章

第三十四章では、前章に続いて『意識の直接与件論』が取り上げられ、『思想と動くもの』の「序論」、「哲学的直観」へと話が移つて行きます。『意識の直接与件論』からの引用は、最初の二つの段落に出てきますが、これらは引用といふよりも、ベルクソンの述べた所を小林秀雄が自らの言葉で語り直してゐるといふ方が近いでせう。例へば、第二段落に次のやうな一節があります。

私の心のドラマは、私が演じてゐるのであつて、私はこれを演じながらでなくては、これを理解しない。動きのあらゆる條件を考へるといふ事が、さういふ動きをするといふその事だ。

これは、『意識の直接与件論』の第三章に出てくる、哲学者ポールが重要な場面での決定を求められてゐるピエールの判断を予測できるか、といふ例を踏まへた文章でせう。(Œuvres p.121-、岩波文庫版『時間と自由』では、221頁以降)

第二段落から第三段落にかけて、『思想と動くもの』の「序論」の表現が顔を出した後、同じ論文集の「哲学的直観」の中で、ベルクソンが直観の力を、ソクラテスに付きまとつたダイモンの声に比してゐる部分が紹介されます。そして、第四段落では、ベルクソンの文章について、次のやうに書かれてゐます。

彼のデモンによる限りのない訂正を前にしながら、彼のデモンに誘はれるのを感じないなら、彼を讀まぬに等しいのである。彼の文章は、彼の精神の怠惰によるおびたゞ)しい概念の切線が棄てられてゐる事を語るとともに、彼の精神の緊張も自我の曲線を明示し得ないでゐる事を語つてゐる。思想は言葉で割切れぬといふ意識が、常に一貫して彼の文章のリズムをなす。

いかにも小林秀雄らしい文章ですが、概念の切線といふ比喩は、「哲学的直観」に出てくるものです。 (Œuvres p.1348、岩波文庫版『思想と動くもの』170頁)

『感想』の第五章にも登場した「哲学的直観」を読み返してみると、改めて、ベルクソンと小林秀雄の共通点を感じます。この中で、ベルクソンは、真の哲学者が語らうとしてゐることは、ただ一つである、とか、直観を概念で表現しようとすると平板で、陳腐なものになつてしまふ、といつた主張を述べてゐるのですが、これは、小林秀雄が『政治と文學』の中で、ドストエフスキーに言及してゐる部分と酷似してゐます。

ドストエフスキイは、翌年死にました。彼は豫言などといふものを好まなかつた人間である。かやうに激しい調子の文章は、彼の全作品中、他にはないのであります。注意すべきは、彼は既に一聯の大作によつて言ひたい事は凡て言つてゐたといふ事だ。彼は恐らく豫言などはしてはならぬ、と考へてゐたのであり、この強い豫覺を、一つの沈默の力として、自分の創作動機のなかに秘めて來たのである。彼は自分の作品が多くの人々を動かした事を知つてゐたが、作品の根柢にある理想を、明らさまに語れば、お目出度いと笑はれるに違ひない事もよく知つてゐた。
(『政治と文學』 第五次全集第十巻82頁)

さらに言へば、上の引用の最初の部分は、『感想』第二章の次の文章と、非常によく似てゐます。

ベルグソンを愛讀した事のない人には、感じは傳へ難いのだが、假りに、よくない言葉で言つてみれば、かういふ一種豫言めいた、一種身振のある樣な物の言ひ方は、これまでベルグソンの書いたもののうちには、絶えてなかつたものなのである。

小林秀雄にとつては、ドストエフスキーもベルクソンも、小説と哲学といふ分野の違ひはあるものの、ある表現し難い直観を、言葉といふ材料を使つて何とか表はさうとする文学者であつたのでせう。

最後の段落では、「ベルグソンの表現に於ける"image"といふ重要な問題」が取り上げられ、「イマージュは、ダイモンから受けついだ禁止、否定の力を持つてゐるわけで、この力によつて姿を現すと言つてよい。」と述べられてゐます。第三十五章以降、『感想』は、再び『物質と記憶』を中心に、主として、心と身体の関係についての論が展開されることとなるのですが、この段落は、そこへのつなぎの役割を果たしてゐるやうに見えます。


第三十五章

第三十五章から、再び『物質と記憶』が主題となりますが、小林秀雄は、先づ、『精神のエネルギー』に収められてゐる「意識と生命」からの文章を引用しながら、『物質と記憶』といふ本の難しさの所以を説明してゐます。

ベルクソン自身は、この本を読む前に、第七版の前書きと、『精神のエネルギー』の中の「魂と身体」に眼を通すことを勧めてゐます("Entretiens avec Bergson", 22 mai 1921)が、その「魂と身体」は、『感想』第三十八章で登場します。

第二段落にある次の文章は、小林秀雄の『物質と記憶』の読書体験を語つてゐて、非常に興味深いものではないでせうか。かうした率直な発言は、少ないと思ひます。

經驗的事實は動いてゐる。その動きの樣々な方向が忠實に辿られるから、記述の複雜が現れるので、辯證による觀念構成上の複雜など何處にもない事が、彼は言ひたいのである。この著作の要約が不可能な所以も、其處にあるのだが、私のやうな尋常な愛讀者にしてみると記述の複雜に心屈し、要するに何が言ひたいのかと呟きたくなる。それと言ふのも、精密な分析を辿りながら、やがて著作の思索の建築は、その構造を明瞭に明かすであらう、と知らず知らずのうちに期待してゐるからであらうと思ふ。例へば、或る複雜な装置の或る部分の構造が徹底的に分析される、次にこれと全く無關係に見える或る部分の構造の分析が現れる、さういふ風に次から次へと部分、部分の構造が明かされて、終ひに、さてこれで全装置は圓滑に動く筈だ、と著者から言はれる。動く筈だが、さて動力は何處にあるのか。私はそんな風な讀み方をした。そんな風には決して書かれてはゐないと納得するまで、繰返し、した。

逆に言へば、小林秀雄自身は、「さてこれで全装置は圓滑に動く筈だ」といふやうな、精密な分析を辿れば、やがて著作の思索の建築が、その構造を明瞭に明かすやうな、そんな文章を書いてゐた、あるいは、書かうとしてゐた、といふことなのかも知れません。

「既に言つた事だが、」で始まる第三段落以降は、『意識の直接与件論』と『物質と記憶』との関係に話が移ります。

最後の段落では、シュヴァリエの『ベルクソンとの対話』から、『物質と記憶』を書き終へた後の自分の状態に関するベルクソンの次のやうな話を紹介してゐます。

激しい疲勞の結果、放心状態に陷り、不眠症に惱んだ。尋常な手段では駄目だと悟つて、休暇をとり、數週間、一人で、アンチーブの岬を旅し、注意力の再敎育を自己に強ひ、諸對象を固定させて、これを記述しようと努めたものだ、と言ふ

郡司勝義さんは、「一九六○年の小林秀雄」(『文學界』2002年九月号)で、第三十五章執筆当時の小林秀雄について、かう書いてをられます。

このあたりの小林の氣力の充實は、素晴しい。前年の病みほうけて體力が最低に瀕しながら氣力だけで持たせてきた所からは恢復し、やつと心身ともに自分のものとなつたと確信した爲であらう。

また、同じ文章の中で、郡司さんは、上に引用した部分に触れながら、『感想』を中断した時の小林秀雄について、次のやうに述べてをられます。

小林は、昭和三十八年六月に、ベルグソン論を打ち切ることにしてソヴィエトへ旅立つた。連載打切りを知らされたのは、小林の出發後旬日ほどして小林邸を訪れたとき、留守番役の夫人からで、大へん驚いた。それを中村光夫に傳へると、にこにこ笑ひながら「あれだけやつたことだ、小林さんのことだ、いづれ續きはやりますよ、それを樂しみにしてゐようぢやありませんか」と言ふ、そのことをありありと思ひ出す。
 この旅行は、あたかもベルグソン論の第三十五章(昭和三十六年七月號)で、小林の言つた如くであつた、とその時私は思つた。

小林秀雄が、『ベルクソンとの対話』を読みながら、この部分に眼を止め、引用したのも、知的努力のための体調管理に関する自らの経験から、何か感ずるところがあつたからなのでせう。


《脚注》

  1. ベルクソンの人格に関する講演の概要

    ベルクソンによれば、人格の問題とは、身体を意識したり、過去を思ひ出したり、未来を想つたりと、様々な姿を示す我々の人格が、どのやうにして一つの纏まりを持つのか、といふ問ひです。

    哲学の基本的な目的は、複雑な世界を一つの視点から見て取ることであり、ギリシャの哲学者たちは、個々の事象を「概念」により纏め、これをさらに一つの理念に集約しようとしました。他方、近代の科学や哲学は、様々な出来事の相互関係を統一的な法則にまとめ、さらには一つの原理に還元しようとしてゐます。

    かうした方法により、「知性」は満足を得るのですが、自らの独立を主張する「意志」は、これに反発します。ベルクソンは、この相異なる二つの要求を満たすのが、これからの哲学の進むべき道だと考へるのです。

    プロティノスの直面した問題も、我々の人格は、いかにして、一方では一つであり、他方では複数であるのか、といふものでした。彼の出した答は、「低次の性質」では複数であり、「高次の性質」では一つなのだ、といふものです。もともと人格は一つで不可分のものなのですが、ある種の堕落、あるいは、逸脱により、複数になるのです。我々は、皆、かうした二つの状態を経験します。後者の状態では、分化や物質化の方向へと進み、前者では、精神的なものへ、統一へと向かふのです。つまり、人格の統一性は、他の人格の統一性と一致する傾向を持ち、人は神そのものと一つになるといふ傾向を持つのです。

    プロティノスの哲学は、一方で内的な時間を細かく分断されたものと捉へ、他方で人格の統一を信じるといふ立場の形而上学が、必然的に至るものなのですが、そこでは我々は、「権利としての de jure」在り方と、「事実としてのde facto」在り方といふ、二つの形を持つことになります。「権利としての」我々は時間の外にあり、永遠な存在で、「事実としての」我々は時間の内にあつて、知覚し、行動するのです。また、「事実としての」在り方は、「権利としての」在り方の衰へた形、劣化した形として捉へられます。

    かうした形而上学の中心にあるのが、「ロゴス」といふ概念です。この言葉は、語ることと推論の双方を意味し、現代の言葉に翻訳できないものなのですが、役者の役を指すこともあります。語ることは、一つの考への複数の(そして不十分な)等価物です。推論は、直観の複数の等価物です。語ることも推論も、言はば、巻物を繰り広げるのです。役者が自分の役を演じてゐるのも、同じことです。かうして、人間の心は「ロゴス」なのです。それが、永遠のイデアを繰り広げるものだからです。

    以上、11回の講演の最初の3回の内容を、掻い摘んでご紹介しました。この講演は、英文でベルクソンの思想を簡単に知るためには、非常に有用なものだと思はれます。最初の3回分の原文を載せておきましたので、ご参照ください。(本文に戻る)


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