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第6章 貪慾

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貪欲は avarice の訳で、吝嗇といふ意味で使はれることが多いのですが、金への過度の執着といふ広い意味もあり、ここでは広い方で解するのが分かり易いと思ひます。

最初は、「大貪慾家」です。これは、世間からどう見られてゐるかはともかく、立派な人たちで、バルザックの小説に登場するグランデやゴブセックの例が挙げられてゐます。彼等が、計画的で決断力を持つことは分かり易いことですが、外見などに迷はされず或る人々を信頼するといふことは、気が付きにくいのではないでせうか。かうした立派な「大貪慾家」の行ひは、情念とは呼ばない方が良い、とアランは言ひます。

第二段落では、「屢々しばしば浪費と呼ばれてゐる」もう一つの貪欲が述べられます。彼等には情念がある。彼等も金に執着するのですが、それは「所有や利用を享樂し、富や力を得る」ためです。かうした富や力は見かけの権力に過ぎないのですが、自分たちもそれに騙されてゐる。それでも、己の力に余る借財をする農夫の様な場合は、軽蔑すべきではない、とされます。

第三段落では、「欲しいから何でも約束するが、決して拂はない人」が出てきます。これは、有害無益な、愚かな不幸者の貪欲家です。

借財した人間が、浪費するの當り前だ、貸した人に權利がある以上、借りた人は使ふからこそ彼の金錢である

といふ指摘は、説得的です。

浪費家は勘定など頭にはない、とよく言はれるが、多くの場合、實はもつと狡猾なものだ、努めて勘定を曖昧にして置くのである

といふのは、ドストエフスキーの登場人物を連想させます。

末尾に、

病氣から治りたかつたら、自分が輕蔑されてゐる事を知るがよい、自分が仲間だけの社會を作つてゐる事を知るがよい。

とあります。直訳すれば、

治るには、自分が軽蔑されてゐることを知るだけで十分だ。しかし、彼等は自分たちだけの社会を作る。

となります。


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