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第5章 建築

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本文を読んで頂くと分かるやうに、ここで語られてゐるのは、 主にキリスト教の教会です。教会の構造やそのなかで執り行はれ る儀式が、いかに人の心を整へ、人々が集まると騒ぎが起きやす いのをどう静めるかといふ工夫であることを述べてゐるのです。 その意味では、前章の末尾の文に続くものだと言へるでせう。

アランは最初の段落で、

僕等の思想を暗示するのは物だと言 ふが、それではとても言ひ足りないのだ、僕等の對象ものが 僕等の思想なのだ。

と述べてゐますが、この主題を教会につい て展開してみせたのが、この章だと見ることもできます。アラン の芸術論の基礎にあるのも、同じ考へだと言へるでせう。しかし、 アランを読んでおもしろいのは、抽象化された主題や結論ではな く、それが具体的な問題を前にして、どう適用され、展開される かといふ部分ではないでせうか。

以下、細かな点になりますが、注をつけます。最初の段落の、 「幾何學の魔除けは受けてゐるが森の中にはいつも現れる異端の 神々」といふ部分は、短い表現で分かりにくいのですが、ゴシッ ク様式の教会の整然と並ぶ柱列が異端の神々の隠れる場所をなく す、といふ意味ではないかと思ひます。

同じ段落の「人間となつた」といふ部分を、中村雄二郎さん は「神はみずから人間をつくられた」と訳してをられますが、 Dieu s'est fait Homme. といふ原文は、小林訳のやうに、神がキ リストとなつて現れたと読むのが良いと思ひます。神は自らに象 つて人間を作つたといふ読み方もあるかも知れません。

同じ段落の最後の方に「筋道の通つた智慧と外的ないろいろな 怪物との對照」といふ句があります。怪物は、ゴチック教会に見 られる怪物の形をした雨水の落とし口を指すのではないかと思ひ ます。次のURLに絵や写真が載つてゐます。 http://fr.wikipedia.org/wiki/Gargouille このやうな怪物の姿を見た後、やさしい聖母の像を眼にすれば、 「安心と救ひとを感ぜざるを得ない」といふのでせう。

末尾に、「しかし詠歌隊には敵はないのだ。」といふ文があり ます。私は最初、てきはない、と読んで、何故こんな風に 訳すのかと驚いて仕舞つたのですが、かなはない、と読む のが正解です。老婆心ながら。


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