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第7章 事実

注釈へ

我々の知識は事実によつて決められ、それに限られるとどこでも言つてゐる。だが、その意味が良く分かつてゐない。経験は確かに、例外無く、我々の全ての知識の型formeではあるが、人は、全ての知識を持つ前に、そこから出発するのではなく、ある考へか別のかが経験で決まるのでもない。事実とは、客体その物であり、科学により組上げられ、考へidéesにより、ある意味では全ての考へにより、決められる。一つの事実を掴むためには、立派な学者でなければならない。

大地が廻るといふのは一つの事実である。そして、明らかに、この事実を掴むためには、他の多くの事実を考へ抜かれた関係に従ひ、集め結びつける必要があつて、この多くの事実も同じ類の条件を内に含む。先づ、星は東から西へと廻る。同様に、全ての天体も動かない軸の周りを廻るかのやうだ。また、星は驚くべき遠さにあり、大きな質量を持つ。また、いくつかの惑星は自転してゐるのは、見えるとほりだ。さらに、月、太陽、惑星の遅れは、地球が惑星の一つであり、月がその衛星であると仮定すると説明される。また、重力は赤道から極に行くと強くなる。これにも力学的、物理的な考へ方や、振り子による測定が前提となる。

だが、最も簡単な、星々が廻るといふ事実を考へてみよう。これも、繰り返した観察や思ひ出、表現、計測によりはじめてさうだと言へる。星がかなり遠くにあり、その幾つは比較的近い、といふ別の事実も、それを支へる仮説を調べてみると、注目すべきものである。と言ふのは、一番近い星でも、視差の効果は地球軌道の幅で移動する観察者にしか現れないからだ。我々の地上の底辺では小さすぎる。それでも、他のよりも近い星があるといふのは事実なのだ。月が我々の太陽よりもずつと近く、小さいといふのも事実だ。これらの事実の建造物は、全て幾何学的なものだ。

パリでは重力の加速度が9.80mだといふのも、また事実だ。だが、かう断言する者は、多くの事を理解する必要がある。先づ、考へ方idéesであり、それに基づいた器械だ。斜面やアトウッドの器械がそれを充分に証明するし、記録筒も同様で、クロノメーターであると同時に回転する幾何学である。比熱の測定にも、これに劣らない知識が必要だ。それも付け足しの知識ではなく、それなしでは経験が存在しない仮説や前提idées poséesである。

誰もが、自分が一番知つてゐる科学で、かうした例を探し、辿つてみることができる。一番簡単な経験にも、かうした練られた考へがあり、掴んだり決めたりするのにこれを道具として使つてゐることを見出して驚くだらう。歴史に至るまで、ルイ十四世がどの年に死んだがといふ簡単な事実にも、歴史の繋がり、批判、また天文学の知識が隠されてゐる。だが、強調するために、このサイコロの立方体の形が事実であるのは明らかだが、それも立方体といふ考へ方idéeにより決められたのであり、それを眼でも手でも掴むことはできない。読者はすでに私がすでに充分に述べたところを参照されたい。


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