『感想』のベルクソン引用(41~45)

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引用部分
小林秀雄全集 Henri Bergson Œuvres 単行本 翻訳
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四十一 知覺器官といふ裝置で、或る特定の點から・・・種板の役を務めてゐる、 * 288 5 11 MM 188 15
I
MM 35 MA 43
MB 39
16
16
世界にある物質點の、どれを取り上げて・・・大きく完全なものと言へる。 * 289 11 3 MM 188 4
I
MM 35 MA 43
MB 39
9
8
私達の意識的知覺は、その純粹な状態・・・その一部をなす。 ? 289 16 2 MM 212 21
I
MM 66 MA 35
MB 79
17
14
私達が、神經組織といふ、私達の行動・・・意識的知覚は必然である、 * 289 17 2 MM 182 4
I
MM 27 MA 75
MB 29
1
14
知覺の方が、むしろ生き物の行動の・・・説明であり尺度である * 290 1 2 MM 212 11
I
MM 66 MA 74
MB 79
14
8
腦膸の構造に起因する身體の運動の非決定・・・呈するのも驚くに當らぬ。 * 290 16 3 MM 190 30
I
MM 38 MA 46
MB 43
16
17
兩者の依存關係は、第三者即ち意志の非決定の結果である * 291 1 1 MM 191 4
I
MM 39 MA 47
MB 44
6
10
物の知覺の必然的な結果として物の・・・自身に關係し、自己自身に現れる。 * 291 6 10 MM 205 5
I
MM 57 MA 65
MB 67
9
8
物全體のうちに、身體と呼ばれる物があり・・・と常識が主張するのである。 * 291 15 5 MM 206 5
I
MM 58 MA 66
MB 69
14
2
記憶を交へぬ純粹な状態では、知覺は・・・經驗によつてなされるのだ。 * 292 7 4 MM 209 12
I
MM 62 MA 71
MB 74
1
10
延膸の反射作用と言はれてゐるものも・・・してゐる有樣がみられるだけで、 * 292 16 4 MM 175 12
I
MM 19 MA 27
MB 18
3
6
四十二 私達の意識的知覺は、物全體のうちから・・・傳へたりしてゐるだけだ。 * 293 4 6 MM 218 26
I
MM 74 MA 83
MB 89
3
12
それ故に、常識は、物質とは全く異なる精神の実在を信じてゐる。 * 294 5 1 MM 219 37
I
MM 76 MA 84
MB 91
15
14
私達の身軆の外にある物は、私達の可能的動作を・・・物の内部にもつながる * 294 8 3 MM 209 24
I
MM 63 MA 71
MB 75
7
3
記憶は、知覺を壓倒して、これを蔽ひ隱さんと・・・ものとして生活してゐる。 * 294 14 9 MM 213 20
I
MM 68 MA 76
MB 81
7
6
知覺を行爲から孤立した一種の靜觀と見做し・・ところに現在の特性がある。 * 295 10 7 MM 215 42
I
MM 71 MA 79
MB 85
13
11
私達の物質の知覺は、その純粹な状態で・・切れ切れにされてゐる實在だ。 * 296 3 2 MM 199 5
I
MM 49 MA 57
MB 57
18
15
殘るところは記憶の所産であり、・・・獨立したものでなければならない。 * 296 5 3 MM 220 9
I
MM 76 MA 85
MB 92
5
8
腦膸の過程は、記憶活動の、ほんのさゝやかな・・・むしろ結果なのだ。 ? 297 1 3 MM 220 37
I
MM 77 MA 85
MB 93
18
5
四十三 學課が暗唱された時、學課は記憶されたと・・・たゞ過去を實演するのである。 (注 1) 297 5 18 MM 225 18
II
MM 83 MA 92
MB 103
17
5
たゞ過去を表象するとは、無用なものを價値附ける・・・人間に特有な記憶で * 298 10 2 MM 228 26
II
MM 87 MA 97
MB 108
2
9
記憶の現象を、決して單純なものと見做してはならぬ ? 298 15 1 MM 234 40
II
MM 95 MA 104
MB 117
3
11
記憶のこの中間状態は、一面、運動的である・・・再認と呼ばれる行爲 * 300 1 4 MM 235 26
II
MM 96 MA 104
MB 118
16
9
再認を、知覺と記憶の一致から説明するのは・・・決して出て來なかつた。 * 300 18 5 MM 237 22
II
MM 98 MA 107
MB 121
1
4
精神盲と呼ばれてゐる再認不能症が、研究・・・當てた正しい命名であつた * 301 13 2 MM 239 26
II
MM 101 MA 109
MB 124
8
7
普通の知覺は、すべて運動に繼續發展する。 * 301 18 2 MM 239 38
II
MM 101 MA 109
MB 124
14
15
習慣とは、知覺と運動との組織化に他ならない。・・・再認の根底にあるのだ。 * 302 1 2 MM 239 33
II
MM 101 MA 109
MB 124
11
12
四十四 この禁止が、對象を確かめんとして、記憶に遡る・・・運動の準備なのである。 * 302 14 1 MM 246 26
II
MM 110 MA 117
MB 134
3
12
あたかも、重要な急信に接し、その正誤を・・・如きものになるだらう。 * 302 14 2 MM 247 24
II
MM 111 MA 118
MB 135
2
16
例へば、或る對象を凝視した後、急に眼を・・・對象の上に投射するからだ。 * 303 4 6 MM 248 14
II
MM 112 MA 118
MB 137
17
12
私達が本を讀んだり、人の話を聞いたりしてゐる・・・充たされてゐるのである。 * 303 9 3 MM 249 6
II
MM 113 MA 119
MB 138
13
5
私の知らない國語で話してゐる二人の會話は・・・實質的内容が違つて來る。 * 304 1 3 MM 254 11
II
MM 120 MA 125
MB 146
14
4
相手の話す事が理解されるとは、相手の言語に・・・身を置いてみればこそだ。 * 304 4 3 MM 261 12
II
MM 129 MA 133
MB 156
12
12
本來模倣の動作を現す一般動詞は、身體の努力・・・影響される道理である。 * 304 17 4 MM 265 15
II
MM 134 MA 138
MB 162
6
9
人と話をしてゐて、突然、同じ人と同じ場所で・・・多くの人がしてゐる事である。 * 305 8 3 ES 897 19 現在の思ひ出と誤つた再認 ES 110 ES 130 2
現在の記憶である
305 15 1 ES 919 3 現在の思ひ出と誤つた再認 ES 137 ES 159 7
意識は、跡切れのない流れであり、客観的・・・やうな事は、到底考へ難い。 * 305 18 5 ES 913 11 現在の思ひ出と誤つた再認 ES 130 ES 150 7
現在は、その出現に際して、相稱的な流れ・・・向つて投げられてゐる。 * 306 6 3 ES 914 18 現在の思ひ出と誤つた再認 ES 132 ES 152 3
我達の現在とは、何はともあれ、未來への豫見なのである。 * 306 14 1 ES 926 12 現在の思ひ出と誤つた再認 ES 147 ES 170 4
無意識の記憶全體は、意識に押し寄せて・・・と同時に再認されるだらう。 * 306 14 5 ES 929 1 現在の思ひ出と誤つた再認 ES 150 ES 174 1
これらの實際的或は潛在的行動は、空間に・・・器官と言つてもよい事になる。 * 307 8 12 ES 850 19 魂と身体 ES 47 ES 61 2
四十五 『魂と身體』
308







今、自分は、諸君に「おしゃべり」をしてゐるが・・・腦膸といふ貴重な被覆だ * 308 2 21 ES 857 12 魂と身体 ES 55 ES 70 15
腦膸のうちに記憶が保存されてゐるといふ事は・・・置いても記憶を意味する。 * 309 9 6 ES 856 38 魂と身体 ES 55 ES 70 4
腦中樞も、これに結ばれた感覺装置も・・・行動の有效性が保證される。 * 309 16 3 ES 873 41 生者の幻と心霊研究 ES 78 ES 95 4
對象を知覺する事を止めれば、それは・・・考へるいかなる理由もない * 310 3 3 MM 284 12
III
MM 157 MA 160
MB 203
17
8
私達の現在の状態に、記憶全體が粘着してゐる・・・同じ役を演じてゐる。 * 310 5 3 MM 286 43
III
MM 161 MA 164
MB 207
7
17
意識を存在の同義語には使ひ難い。意識といふ・・・考へ易い事にならう。 * 310 9 3 MM 283 27
III
MM 156 MA 160
MB 202
2
8
心理學は、長い間、意識を精神状態の本質と・・・逃れる事が難しいのである。 * 310 14 2 MM 283 19
III
MM 156 MA 159
MB 202
12
1
意識を、本質的に知識の具、認識の具と・・・利益であるかが不可解にもなる。 * 310 16 2 MM 284 1
III
MM 157 MA 160
MB 202
10
17
過去と未來とを分かつ限界點としての現在・・・直接的未來の決定でもあらう。 * 311 2 5 MM 280 16
III
MM 152 MA 155
MB 196
13
15
私の現在とは感覺と運動との聯合體系・・・在り得ないからといふ理由に基く。 * 311 5 16 MM 281 1
III
MM 153 MA 156
MB 197
11
17
私の過去のうちで、未來に直面した、・・・生きられるものとなるといふ事だ。 * 312 5 4 MM 282 41
III
MM 156 MA 159
MB 201
3
4
思ひ描くといふ事 (imaginer) と思ひ出すといふ事 (se souvenir) とは全く違ふ * 312 9 2 MM 278 26
III
MM 150 MA 153
MB 193
9
16
私の意識に描き出された心像は、すべて私の・・・思ひ出さねばならぬ。 * 312 10 3 MM 283 6
III
MM 156 MA 159
MB 201
7
9
思ひ出すとは、先づ一擧に身を過去に置き、・・・辿り直してみる事だ。 ? 312 13 3 MM 278 11
III
MM 149 MA 152
MB 193
18
6
感覺は、延長を持ち、局所を持つ運動の源・・・根本的に無力なものである。 * 312 15 2 MM 282 37
III
MM 155 MA 159
MB 200
1
17
私達の知覺は、二つの異なつた方向に延びて・・・難しくなつて來るか。 * 313 2 6 MM 284 42
III
MM 158 MA 161
MB 204
18
12

注 1
ベルクソンの原文を大幅に圧縮・要約し、引用してゐる。

36章~40章 < 41章~45章 > 46章~50章

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