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第5章 幾何學

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この章では幾何学とは何かを説明してゐるのですが、幾つか興味深い指摘があります。例へば

認識の目的は認識自體にあるとは古い昔の偏見である。

幾何学の場合は図形の探究がその目的だと考へられがちだが、

僕等が或る印象を受取り或る印象を避けようと行爲する爲にどういふ運動を為すべきかを豫見するところに認識の目的はあるのだ。

かうした考へ方は、ベルグソンの『物質と記憶』にある、脳は世界を表現するための器官ではなく、刺激に対して運動系を準備し、できるだけ多くの対応ができるやうにするための器官であるといふ議論を思ひ起こさせます("Œuvres" Édition du Centenaire p.181)。最近の生物学研究を踏まえた議論にも、H.マトゥラーナ、F.バレーラ共著の『知恵の樹』のやうに、同様の主張が見られます。

その後で詳しく論じられてゐるのは公理 postulat の問題です。小林訳では公理となつてゐますが、公準といふ言ひ方もあります。ちなみに公準をウェブで提供されてゐる三省堂「大辞林 第二版」で調べると、かうあります。

〔数〕 一般には、証明はされないが、証明の前提として要請される基礎的な命題のこと。ユークリッド幾何学においては、幾何学的作図に関する一群の基礎命題を指す。現在では公理と同義であり、両者は区別されない。

第三段落で、ニ点を結ぶ直線は一本しかないことを方向の定義を使つて説明してゐるのもなかなか面白い。なほ小林訳で「併し、これは先き廻りした言ひ方だ。」といふ部分がありますが、C'est une anticipation. が原文で、<それ(直線)は一つの期待だ。>と読むこともできると思ひます。

最後の段落では、「與へられた一點を横切つて、一つの直線に平行な直線は果して一本しか無いかどうか」といふ問は、「元來が直線とは設定され支持されてゐるものなのだ。」つまり、人が決めるものなので、意味がないとされてゐます。

皆さんご存知だとは思ひますが、これはユークリッドの第五公準に関する問題で、これに反する公準を置いても矛盾の無い幾何学が作れるのは、アランが文末に言つてゐるとほりです。非ユークリッド幾何学については、ウェブにもいろいろ情報があります。例へばこれ

なほ、この段落で「適切な意味で角度を數へれば二本ではない。」といふ部分がありますが、<決められた方向に角度を測れば>と読むはうが分かりやすいでせう。例へば右回転を正、左回転を負に決めて角度を測るといふことです。


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