ホーム >  小林訳注釈 目次 >  第6部 目次 >  第5章

第5章 再び正義(つゞき)

翻訳へ

アランはこの章でも、商ひの例を用ゐながら、正義とは何かを考へます。商売と言へば、安物を高く売りつけたりするやうな、狡猾な人物を思ひ浮かべる方も多いかと思ひますが、アランは逆にそこに人の間の平等を想定する動きを見ようとします。

強者と學者とが、自分と平等な力なり學問なりを相手が持つてゐると見做し、裁判官として、矯正者として、互いに忠告し会ふ樣にし度い

と思ふ、それが取引の生命だと言つてゐます。

また、「平等の利益が交換に際しての最上の規則だといふ事」の根拠として、誰も子供に高く売付けようとはしないことや、競売が公正に行はれるやう多大な注意が払はれることを挙げてゐます。

以下、本文を読まれる際にご参考になると思はれる翻訳に関する注釈をいくつか書いておきます。先づ、冒頭に「物々交換の風習」といふ言葉がありますが、<物の取引の慣習>の方が分かり易いでせう。

第二段落の半ばに、「同意のない賣買とは裁判官の眼に無意味だが」とあります。nulle といふ言葉は法律用語で<無効>といふ意味もあり、その方が裁判官といふ語とのつながりが良いかも知れません。

その後の、「彼が望んでゐるものは所有ではない、自由な明らかな同意の上に立つた所有物だからだ。」といふ文ですが、「所有物」は<所有権>と読まないと、意味が通り難いと思ひます。

続いて「商人が、例へば相續財産の分配問題とか正當な辨濟金の問題とかを主權者の手に委ねた上は」云々といふ文があります。中村雄二郎さんの訳もこれと同じです。しかし、ここは<商人は、遺産の分配や正しい支払ひの問題が自分の判断に任されると>と読むべきだと思はれます。

この段落の最後の文は、<農民のしつかりとした知恵が、たとへそれで損をしても財産の正しい管理の方を、たとへそれで得をする場合でも、いい加減な気楽さよりもずつと尊重するといふのは、かういふ意味だ。>といふ訳し方もできるのではないでせうか。この場合、財産を管理するのが、領主や地主で、農民自身ではないことになります。


第4章 < 第5章 > 第6章

ホーム >  小林訳注釈 目次 >  第6部 目次 >  第5章

Copyright (C) 2005-2006 吉原順之